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なんて静かな場所なんだろう。ここだけすごい静寂に包まれている。

僕はその日、佛光寺を訪れていた。建暦2年(1212)に親鸞聖人が山科の地に結ばれた草庵を起源とし、阿弥陀如来を本尊とする真宗佛光寺派のお寺だ。どんなもんだろうか。まあでもお寺なんてどこも一緒なんだろうな~、と思いつつ訪れてみた。
でもそれは全然ちがった。どこも一緒じゃあない。お寺にはお寺にしかない独特の雰囲気があったのだ。

まず最初に、佛光寺の門(御影堂門)をくぐると・・・・・・

佛光寺御影堂門

目の前に大師堂(御影堂)が聳え立ち、

佛光寺御影堂

ものすごい静寂に包まれた境内が、参拝者を迎えてくれる。

佛光寺御影堂と阿弥陀堂

手前(写真から見て右)に写るお堂が大師堂。
少し奥(写真から見て左)に写るお堂が阿弥陀堂

前面に広がる大きな庭。そしてそこに建つ二宇の大きなお堂、阿弥陀如来像を安置する阿弥陀堂と親鸞聖人坐像を安置する大師堂が堂々と、しかし静かにそこに建つ。
この日は実は曇りだったのだが、それだけに境内全体がますます仏教的な見映えを参拝者の眼に映し出す。

煩悩の雲に覆われてもなお、いや、だからこそそこに、人々の拠り所となる佛光寺が堂々と聳え立つ。まるでそんなふうに見えた。

境内を散歩して佛光寺が醸し出す独特の空気感に触れた後、大師堂に上がって参拝。このお堂は誰でも無料で入って参拝することができる。お堂から見た境内の景色もなかなかいい。

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そして大師堂(御影堂)の内部に入ると、そこには浄土真宗をお開きになった親鸞聖人坐像が安置されていた。

親鸞聖人のイラスト

親鸞聖人

僕も浄土真宗にはずいぶんとお世話になっている。というより今や自分の生き方の支えそのものになっている。いま平穏に暮らせているのも、浄土真宗の教えがあってこそ。

教:安楽に到るための教えがあって
行:阿弥陀仏様からその教えを信じるように計らいなき働きかけがあり
信:それを信じて
証:安楽な状態となる

この教えを今も心に刻みながら生きている。いや、生かしてもらっていると言った方が正確だろう。
どんなに自力で努力を積み重ねても、結局は煩いや悩みをなくすことはできない。時と場合によって、どのようなことでもしてしまう永遠の愚者悪人として生きる身を持つ自分。
だからこそ、自分の力だけでどうにかしてやろう、などの自力の意思を捨てて、弥陀の計らいなき呼びかけに身を委ねて生きる。

自分の力など、所詮は絶対的に無力なものだからこそ。

道を開くのは決して自分の力にあらず。計らいなき他力(人をはじめ、この世に存在するあらゆるもの=阿弥陀仏)の呼びかけに耳を傾け、そのものたちの生きて来られた道に気づかされて、新たな道に導かれてゆく。

道はそうやって自然と開かれてゆく。そうやって人生は続いてゆく。
今までも、そしてこれからも。

そんなことを思いながら、佛光寺を散策し、大師堂(御影堂)の親鸞聖人坐像と向き合った時間を過ごしていた自分がいた。

佛光寺

  • 所在地 京都市下京区新開町397
  • 電話番号:075-341-3321
  • URL:https://www.bukkoji.or.jp/
  • ご案内時間
    9:00~16:00(15:00受付終了)
    無休
  • 交通アクセス
    ■京都駅から
    地下鉄四条駅5番出口より、徒歩2分

    ■阪急電鉄ご利用の場合
    阪急烏丸駅15番出口より、徒歩5分

  • 拝観料:無料。

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