かつて、僕は学校で先生からこんなふうに教わったことがある。
周りの人も、「過去のことだろ。そんなこと学んでも何の役にも立たんわ」と言う人が多かった。
しかし本当にそうだろうか。歴史は決して単なる過去ではないと思う。歴史とはつまり、〈その時代〉の今を生きてこられた人々の軌跡なのだと思うから。
そこにはその時代を生きてきた人々の智慧がたくさん散りばめられている。
その智慧=〈その時代の〉今を生きてこられた人々の生き方や考え方を学ぶことこそが、歴史を学ぶ最大の意義だと思う。
そして学んだ智慧を日常生活の中で実践し、自らのものとして体得してゆく。そうやって得られた智慧は、きっと、いや、必ずその人の中でこれからを生きる支えとなり、指針となっていくと思うのだ。そこから新しい未来や新しい文化が生まれる可能性も十分あり得る。
歴史は、暗記などでは決してない。そんなことをしても何の意味もないと思う。せいぜいテストでいい点が取れる技術が身につくだけだ。そしてもちろん、「所詮過去でしょ」と言われるものでも、役に立たないものでもない。
過去を語り伝えると同時に、未来をも創っていくのである。それが歴史を学ぶ本当の意味や価値なのではないかと、歴史都市京都にて、常々考える日々なのであった。
この記事を書いた人

ばかものランボー
見ろ!鳥だ!飛行機だ!いや、ばかものランボーだ!!
テッテテ~ッテテテレテ~~♪♪
皆さん、見えるでしょうか!ばかものランボーが、またバカをやっています!
彼の本職は、京都市の合同会社シシンという会社でパソコンのデータ入力をしているとか。
趣味はカラオケに映画鑑賞だとか。あ、彼が来ました!
「あっあ~、皆さん、私がばかものランボーだ」
コメント一覧
歴史学習は思考を深める為にも大事としか言いようがないですね。しかしもって、ウェーバーの理念型という言葉があるように、歴史は自らの願望を託すものに非ず。歴史からはどのような教訓でも引き出すことができるとヴァレリィが語ったのを肝に銘じるべきでしょう。
自らの願望を託す。それは一番やってはいけないこと、ですかね。こうであってほしいとか、こうだったに違いないとか、歴史愛が強すぎる故についつい都合のよい解釈をする、とか。僕も歴史を主観的に解釈するのではなく、あくまでも客観的に解釈するよう常々気をつけています。