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これは、とある時代のとある国、とある都での物語。

「さあお2人とも、仏様に誓いの言葉を。あなたたちの門出を仏様もきっと祝福しておられます。すべての菩薩様たちも、すべての天神様たちも、生涯にわたってあなたたちを守護してくれることでしょう」

4月8日のその日、その都のあるお寺では、盛大な結婚式が行われていた。通常の仏前婚とは違う、新しい形の結婚式らしい。あるお寺と、結婚式をプロデュースする会社とが共同で行っているとか。華嫁となり着物を着た新婦は、繊細な雅楽が演奏される中、お寺の門より続く、美しく彩られた蓮の華道を歩いていく。そして本堂に安置され盛大に荘厳された本尊仏の前で待つ、新郎の元へ行くのだ。華道は、煩悩の世界(煩い悩みの現実世界)と菩提の世界(極楽の聖地)を繋ぐ橋のようなものだ。華嫁はその橋を渡り、現実世界から仏陀のいまします聖地に赴く。そして2人はこの世に出現した極楽世界の中で、僧侶の仲介のもと、本堂に安置された本尊仏の前で共に生きていくことを誓い合うのだ。そして安楽浄土の聖地で契りを結んだ後、再びそこから現実世界たる煩悩の世界に還っていくのである。

極楽⇔華道⇔煩悩の世界(現実世界)の図

 

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その結婚式は、仏陀と縁を結ぶ〈結縁〉を由来として、〈縁結びの結婚式〉と名づけられている。仏陀、それはこの世に生きるすべてのものを大いなる慈悲で包み込み、救いあげていく偉大な存在。金剛のように堅い智慧で人々を導く偉大な存在。その仏陀と縁を結ぶことで人々は仏陀の説く教えに与り、物質的・精神的な救済を得てきたのである。

仏陀の教えを与る人々の図

結婚式で仏陀と縁を結ぶこと、そこには未来永劫仏陀がその力で2人を守護して下さるように、との祈願が込められている。現世においては、病める時も健やかなる時も、ありとあらゆる姿をとって2人を守護せんことを。病気であるときは医者の姿をとって、或いは何かを勉強する時は先生の姿をとって、2人を救い導かんことを。そして死後は、2人を極楽へと導かんことを。そのような祈願内容が書かれた婚姻願文が、まず仏前で僧侶によって読み上げられるのである。仏像を荘厳し、新郎新婦の2人を仏弟子として迎えた証として。

仏陀と縁を結んだその瞬間、もうすでに結婚する2人はその大いなる慈悲の中に包まれていると言ってもいい。この世のすべての存在は、すべて仏陀がその時に応じて姿を変え、現れ出たものなのだから。実はすべての存在が仏陀なのである。2人はそれを自覚し、本尊仏に祈りを捧げる。そしてその守護のもと、2人で共に歩んでいくことを誓い合うのである。

「病める時も健やかなる時も、お互いに生き合い共に支え合うことを誓いますか?」
「誓います」

すべての私たち、すべての存在は、それ1つでは決して存在し得ない。お互いに支え合い、生かし合って、みんなで1つの平和な世界を創っているのだ。

夫婦2人もまた、お互いの立場、能力、意志を認めて尊重し、支え合って生きてゆく。

自分だけが偉いと思わずに。そんなことは妄想に他ならない。そんなことはあるわけがない。

この結婚式、縁結びの結婚式は、仏陀の守護に与り、夫婦2人がお互いを尊重し謙虚に生きていくことを誓う儀式でもあるのだ。

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どうか2人に永久の守護あらんことを。どうか2人に永久の幸あらんことを。
未来の際において、仏法による縁結びがあらんことを。
そして来世においても極楽にて結びつきがあらんことを。

僧侶のイラスト

この僧侶の祈願の後、新郎と新婦は指輪を交換する。そして仏陀の守護のもと、現世では共に支え合い、来世では2人共に極楽往生を遂げ、仏陀と共に生き合うことが誓われるのだ。

こうして壮大に雅楽が演奏され、天より香華が降り注ぎ、結婚式に集まった人々も共に新郎新婦の門出を祝うのである。その人々もまた、仏陀より限りない功徳を与えられるのだ。

新郎新婦を祝う人々の図

最後に、この物語は実話ではありません。仏教をもとに僕が描いてみたフィクションです。

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