その時、その夫婦はついに奇跡を目撃したのである!!

ああ!あれを見ろあさ子!!母上さまが還ってきたぞ!!

まあ、なんて感動的なんでしょう!・・・ああ、あああ!!

感動する2人のイラスト

みなさん!私たちは今、猛烈に感動しております。わが母上様が極楽浄土から還ってきたのですから。すべての私たちを救うために。さあ、みんなでお迎えしましょう!!

南無阿弥陀仏!お還り~~~ママァァ~~~!!

ピシャアアア!!ドン!!

閃光

♪て~れってれ~~~♪

ママのイラスト

ど~~~ん!!

修二、あきら~~!!愛してるわ、ママよ~~!!

ああ、また会えてうれしいわ。私のかわいい子供たち。今日はあなたたちにお土産があるの。それはね、私が極楽浄土に往生することができた〈浄土の真実の教え〉、浄土真宗についてあなたたちに教えてあげることよ。そのためにママは戻ってきたの。さあ、このお話を聴けば、あなたたちもきっと楽になるはず。しっかりと聴きなさい、私のありがた~~~~~~~いお話を。

ラララじょ~ど♪ ラララしん~しゅ~♪ ララララ~~~~♬

 

浄土真宗、それは鎌倉時代(1192~1333)、1200年代に親鸞聖人(1173~1262)という僧侶さんが開いた教えのことをいうのよ。ここまでは知ってるわね。

親鸞聖人のイラスト

この人が親鸞聖人よ。

それがどんな教えかというと、一言でいえば、「悪人正因 他力本願」という教えよ(ほかにも諸説あるけど)。かつて私の敬愛する先生は言っていたわ。悪人正因というのは、「すべてのわれらは末世平等の悪人であると自覚し、阿弥陀仏様の本願を理解して阿弥陀様に身を委ねた悪人が、真実の救いに与ることができる」という考え方だと。どういうことかと言うとね、まず私たちは自分の力でどんなに努力をしても、結局自己への執着心と欲望を捨てることはできない。よって欲望と執着がもたらす迷いと苦しみ、煩い悩みからも、どうしても逃れることができない。どんな人でも、時と場合によってはどのようなこともしてしまう存在なの。よって私たちは皆、この世においては平等に罪悪重深、煩悩熾盛の悪人たらざるを得ないのよ。

お金にまみれた悪人のイラスト

すべての私たちはみな、悪業から離れられない悲しみを背負って生きる、罪悪重深の身。だからこそ、阿弥陀仏様は心からそれを憐れんで下さって、大いなる慈悲でもって私たちを救おうと誓われたの。誰一人捨てることなく、平等に。これが阿弥陀さまの本願よ。

末世平等の悪人たる、すべてのわれら

「われらは末世平等の悪人である。だからこそ、阿弥陀仏様はそれを心から憐れんで、すべてのわれらを救おうと誓われた」。この本願を理解して、阿弥陀様に身を委ねた悪人が、真実の救いに与ることができるの。阿弥陀仏様は愚かなるすべての私たちを救おうと誓われた。だから常に私たちのそばに寄り添い、私たちに常に呼びかけてくださっている。その呼びかけの力が他力よ。阿弥陀様に身を委ねるとは、阿弥陀仏様の呼びかけに私たちが身を委ねることなの。

 

教:安楽へと導く教えがあって、
行:その教えを信じるようにと 阿弥陀仏様から計らいなき無為自然なる呼びかけがあり、
信:それを信じて、
証:安楽の境地に至る。すなわちこれ浄土往生。

 

これは、親鸞聖人の提示した浄土真宗の聖典『教行信証』の教えをすごく簡単に説明したものよ。これはとある私の敬愛する先生が教えてくれたこと。その人が述べるにはね、

 

「要は、自分の力だけを頼りにして目的を達成しようと、上を上を向いて、ひたすら頑張るのではない。逆に下を向いて下を向いて、自分自身が〈あらゆるものたちの関係性〉の中で生かされていることを自覚して生きていくのだ。ああ、自分は〈すでに〉救いの中にいる存在である、なんと有難いことか、と自覚して、その関係性に頭を下げて生きる。その中で〈あらゆるものたちの教え(生き方や考え方・もののあり方)〉に触れ、そのものたちの生きてこられた道に気づかされて、新たな生き方に導かれていくのだ」

阿弥陀仏様とは、実は人間をはじめその他あらゆるものたちのことだと私は考えているの。そのあらゆるものたちは、常に私たちに何の計らいもなく自然に大切な教えを示してくれている。私たちはその教えを受け取り、新たな道を歩んでいくってわけ。

人間⇔鳥獣魚介⇔山川草木⇔その他すべてのもの

たとえば、こんな経験はない?あなたがある問題に直面していて、それを解決するのに必死になってあれこれ考えるけど、まったくいい案が思い浮かばない。考えても考えても堂々巡りの繰り返し。ああ、もうダメだ~~!と思った時、ふと誰かが何気なく言った一言で、一気に道が開ける。そうよ、それよ!って具合に。その誰かは、あなたに助言をしようとしたわけじゃなく、自然にポロっと一言言っただけなのよね。それが、何の計らいもなき自然なる呼びかけってわけ。少なくとも私はそう捉えているけど、真宗のお坊さんはどう思かしら?

ひらめいた女性のイラスト

浄土真宗、つまり「浄土の真実の教え」とは、阿弥陀仏様の声に身を委ねて生きていくことに他ならないのよ。自分の力だけに頼ることを捨てて、限りない弥陀の光の中にその身を委ねて生きていく。

 

阿弥陀仏様は、この世に存在するあらゆるものたち。そのものたちは常に、罪深き私たちに何の計らいもなく、救いの方法を呼びかけてくださっている。それに気づき、ああ、私は〈すでに〉救いの中にいる。なんと有難いことか、と思った時、口に自然に出る言葉、それが「南無阿弥陀仏」という念仏よ。

「南無」とは、信じ任せること。「南無阿弥陀仏」とは、限りない弥陀の光の中に、その身を委ねること。
「ああ阿弥陀さま、あなたを信じ、この身をすべて委ねます」という心からの感謝の言葉。

 

だからママも、こう念じて仏にならせて頂いているのよ。さあ、あなたたちも一緒にやりましょう!

ああ、われらは〈すでに〉救いの中にいる。なんと有難いことでしょうか。

合掌!ああ、南無阿弥陀仏。あああ!!

パアァァ!!

 

仏様のイラスト

われ今弥陀の本願の力によりて、
往・生 成・仏を遂ぐ。

 

われ今、真実の本願に報われたる浄土より還りて、すべてのものたちに勝れた功徳を廻り向けん。
すべてのものたちを苦しみより救済せん。

 

これら参考文献は、ママに浄土真宗を教授してくれたものよ。すっごくいい本。ぜひ読んでみて♪

金子大栄 校註『歎異抄』(1931年、岩波書店)。
千葉乗隆 訳註『歎異抄―現代語訳つき―』(角川学芸出版、2001年)。
平雅行「親鸞の善人悪人観」(『親鸞とその時代』2001年、法蔵館)。
五木寛之『親鸞』全6巻(2010年~2014年、講談社)。
頼尊恒信『真宗学と障害学-障害と自立をとらえる新たな視座の構築のために―』(2015年、生活書院)。
頼尊氏は障がい者福祉の視点から、いわゆる阿弥陀仏を〈障がいを生きてこられたすべての先輩方〉と捉えておられるわ。ママは頼尊氏が提示された浄土真宗の考えをもとに他力を実践していく中で、阿弥陀仏の存在を〈すべてのあらゆるもの〉と解釈してみたのよ。

以上が未熟ながら、僕なりに浄土真宗の教えを語ってみましたが、いかがでしょうか?

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