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今日もここは静かでいいなあ。
その日、僕は散歩がてらその神社になんとなく足を運んでいた。
鳥居と楼門(ウィキペディアより転載)
上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)
境内(筆者撮影)
すぐ近所にあるこの神社の境内には普段、人はほとんどいない。小さな森のような空間がもたらしている閑かな空気。そして辺りを静かに包み込む静寂。普段いろいろな物事に接していることもあってか、なんともヒーリングな空気感を味わうことができる。静けさによる癒し、とでも言おうか。すごく落ち着いた気持ちで過ごすことができる場所だ。
そんな御霊神社については、僕の姉ちゃんがよく知っているんだよな。だからいま一緒にいる姉ちゃんに語りを頼んでみよう。それじゃあ姉ちゃん、お願いします。
了解。というわけで姉の登場です。よろしく。
静かでヒーリングな雰囲気の上御霊神社。今は確かにそんな空気感があるけれど、この神社は実を言うと、その由来はすごく恐ろしくも、悲しいものなのよね。だからよく聞いて。
時は延暦13年(794)、当時の天皇桓武さんは平安京へ遷都するにあたって、都の守り神として早良親王(崇道天皇)の御霊をお祀りなさったのね。それが上御霊神社の起こりというわけ。
そのきっかけが、あの事件。うん、あの本当に痛ましい事件なのよね。
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それは延暦3年(784)のこと。まず桓武天皇さんは都を長岡京へ移されたの。でもその翌年、都造営計画の最高責任者である藤原種継さんが何者かに暗殺されて、桓武さんの弟、早良親王が首謀者とされてしまったのよ。
それで、それから間もなくしてのこと。桓武天皇さんの近親者たちが相次いで死んでしまうことがあって、さらには天変地異も相次いで発生したのよね。
桓武さんはそれを、早良親王の御霊だとしてすごくおびえていたそうよ。
それで早良親王さんに「崇道天皇」の尊号の追贈をしたことをはじめ、国家安寧のため寺を建立したり経典を納めたりと、事態を収拾するため手を尽くすようになるの。
井上内親王。刑部親王。藤原吉子。橘逸勢。文屋宮田麻呂など。
これらはみな、政争に巻き込まれて罪を着せられ、失意のうちに憤死してしまった人たち。
「これら悲運のうちに亡くなった高貴な人々の御霊を、
丁重に祀ることで災いをなくそう」
罪人として死去した貴人を祀る「御霊会」には、そんな願いが込めてられているのね。
上御霊神社には、こうした人々の御霊が今もここで眠っているの。
本殿(筆者撮影)
だから、あなたもどうか忘れないでね。
ここに眠っている人たちのことを、どうか忘れないで。
どうか今日も心から鎮魂の祈りを、捧げてあげてね。
参考文献
『京都魔界地図帖 ~地図と写真でたどる京都裏歴史ロマンの旅 』P50「上御霊神社」(〈別冊宝島 2356〉2015年)。
上御霊神社
- 住所:京都市上京区上御霊前通烏丸東入
- TEL 075-441-2260
- URL:
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/02/004/
https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=4376 - アクセス
地下鉄「鞍馬口」下車、徒歩約3分 - 受付時間:午前9時~午後5時まで(季節により変更あり)
- 定休日:無休
- 由来:桓武天皇の勅命により、早良親王の鎮魂のために建立。
ご利益:厄除け・安産・疫病退散。
祭神:早良親王・橘逸勢ほか八柱。
この記事を書いた人
じゅうべい(Jubei)
みなさんこんにちは。今日も元気がとまらない地球人、じゅうべいです。好きなことは遊ぶこと(漫画に映画、音楽(Jロック等)にカフェ巡り)です。
よろしくお願いします。