前半:囚われの市人、権三

権三どの、どうかそなたはそなたの立場で、そなたの場所で、ただひたすらに誰かのために尽くしていってほしい。この世で人々の救済に励む菩薩として。区別も差別も智慧も愚痴も、すべてを捨ててただひたすらに。それがそなたを極楽浄土、「空」の世界へと導くであろうことを、私は切に願っている。心から切に願っている。

「南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏」

空也の画像

「権三どの、これを」
私、空也は東市で干魚の商いをしている市人(商人)、権三に干魚を手渡そうとした。それは市に来たある童女が、飢えのあまり権三の鄽(いちくら=お店)から盗もうとしたものだったからだ。その子はそのあまりに汚い身なりと、今にも死にそうな人相が出ているという理由で不浄なものとみなされ、市にいる人々から〈死穢童子〉と呼ばれ蔑まれている子だった。

「これを、あの鄽の主に返してはくれぬか」
私は権三から干魚を盗んだ童女に向かい、彼女の目の高さまでしゃがみ込むと笑顔でそう言った。
「この干魚はあの鄽の主にとってとても大切なものなのだ。あの人はこれをほかの人に売ることで生活をしている。そうやって多くの人のいのちを支えているのだ。だから、盗まれたのではあの人がとっても困ってしまうのだよ」
私は笑顔で童女の頭を撫でて言った。
「だからあの人のために、これを返しておくれ。食べ物なら私のものがある。だから大丈夫、大丈夫」
それを聞いた童女は、少しその表情に笑顔をつくってうなづくと、黙って干魚を私に渡してくれた。

「よしよし、いい子だ。返してくれてありがとう」

私はその素直さにたまらない可愛さを感じて、思わずもう一度その童女の頭をやさしくなでていた。

さて、その干魚を私は権三に返そうとしたのだが、当の権三は何も言わない。まるで汚いものでも見るかのような目つきでその干魚をじっと見つめているだけだ。そして私に一言、こう言い放ったのである。
「いらねえよ。穢れたガキの触れたものなんざ、さわりたくもねえや」
「権三どの」
私は半ば呆れながら言葉をつづける。
「あの子はまだ死んではおらぬ。だからこの干魚に穢れが伝染していようはずが・・・・・」
そこまで言うと、権三が右の手のひらを突き出して、私の話を制した。
「そうであってもだ。きたねえガキの触れたもんなんざ、触りたくもねえんだよ」
「・・・・そうか」
私はその言葉を聞いて、頗る虚しく、悲しい気持ちになった。この権三もまた、荒廃した世の中で〈穢れ〉の観念という煩い悩みに囚われて、弱き者を迫害する者となってしまっている。なんということだろう。

穢れなど元からどこにも存在しないというのに。

それは人間が神の怒りや死への嫌悪感という恐怖心から勝手に作り出した考えに過ぎない。干魚を盗んだ童女は、ボロボロで今にも死にそうな見た目から〈死穢童子〉と呼ばれて皆から蔑まれていた。しかしそんなものはあるはずがない。第一死穢は死んだ者や不完全な死体に触れたりすることで発生するのだ。しかし見てみよ、彼女はまだ死んですらいないではないか。したがって、干魚にも穢れなどあるはずがないのだ。

阿弥陀仏の画像

すべての人は皆、今この時も阿弥陀仏様の光の中で、平等に同じいのちを生きている。そこにはもはや差別や区別などない。どこにも、あるはずがない。

後半:「権三のお布施」へ続く

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