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「外から聞こえる豆腐屋さんのパフパフの音色」

その昔、その音色を聞いた途端、ボールを持ちつっかけで家から飛び出てくるおばちゃん達をよく見かけたものである。豆腐もお揚げも何故か普通に買うより美味しかった気がする。
今は共働きの時代なので見なくなって当たり前か。代わりにUber何やらで何でも食べれる時代だ。うちの近所には今でもたまに焼き芋屋さんが来る事がある。少し高いけど、今度来たら買ってみようと思った。

「外で遊ぶ子供たち」

ゴリ押しコロナのステイホームの影響で、もう全くといっていいほど見かけない。
特に正月に昔ながらの凧揚げや羽子板なんかしている姿は、昭和以前特有の過去の風景となってしまった。今や、凧の代わりにドローンが空を飛び、顔に墨で落書きするなど漫画だけの世界で、実際に起きたら「いじめ」になってしまうのかもしれないな。

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「どこから見てもかつら(バーコード)おじさん。」

今でもごくごくたまに見かけるが、前に比べれば格段に減った。もはや絶滅危惧種ともいえる。男性の頭皮事情は変わらないはずなので、植毛技術が良くなったか、カミングアウトした方が潔くてかっちょいいと気付き、勇気ある決断をした人達が増えたのかもしれない。
これは、私的にはいい傾向だと思うし、心からブラヴォー!とスタンディングオベーションを送りたい。

「四条大橋や三条大橋の上で、座ってお恵みを貰っていた人達。」

20年程前までは、橋の上に何人か座っているのが、当たり前で日常の風景だった。それがいつからか、街から忽然と姿を消した。
忘れられないのは、リストラされましたなどという札の前に、スーツを着て暗い表情でうなだれた、余りにもまだ若い普通の男性が正座しているのを見た事だ。その絶望感と覚悟を目の当たりにして、当時10代だった私に衝撃が走った事を未だ鮮明に覚えている。
彼はその後どうなったんだろう。

そういやどこかの橋の下に、立派なダンボール御殿があって、きちんとその家の前に洗濯物が干してあり、自転車まで止まっていたなぁ。通る度に「もしや、鴨川で洗濯を?」とつい考えてしまったものだ。家主は見た事ないが、もうあの家も跡形もないに違いない。

その繋がりでいうと、四条通りの地下街や、閉店後の百貨店前などには、夜9時頃になるとどこからかぞろぞろダンボールを持って現れ、寝床確保に向かう人達を沢山目にした。従兄何かは終電に乗り遅れた際、親切に1泊させて貰い、朝ご飯にお味噌汁までご馳走になったという。あの人達は、いつの間にいったいどこへ消えたのか。彼らには、それぞれそこへ向かうまでの数々のドラマがあったはずだ。逆に見えない事に恐怖すら覚える。ただ追い払われただけでなく、何らかの救済処置が行われ、温かい布団で寝ててくれればいいなと思う。

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「どんどん消滅していく小売店」

私が住む商店街も、小さい頃はまだ活気があって、〇〇屋さんがいっぱいあった。
小銭を握りしめておつかいやおかしを買いによく行ったりしたものだ。今や、京都の台所であったはずの錦市場でさえ、昔からあったはずの商店が次々と店を畳み、観光客向けのお洒落な店などに様相が変わっていっている。私が観光客なら、明らかな土産店よりも、地元民が普段通う様な、その土地の文化を味わえる土着の店の方にも行きたいと思うのになと、ジレンマを覚えてしまう。どこにでもあるチェーン店などに変わるとうんざりする。決して嫌いではないが、もうお腹いっぱいで、また1つ味のある面白い店が消えてしまったと少し悲しくなる。

活気ある魚屋さん

時代の流れが早い現在。まだまだ上げればきりがない気がする。私もおばさんになったもんだと書きながら意気消沈してしまった。

消して昔は良かったと懐古主義に浸っている訳ではない。街も人も変わっていくのは当たり前で、変わるべきである。同じ土地でも時の流れと共に、今まで当たり前だと思い込まされていた常識や価値観などと云われるものは、次第に変化していくものだ。

ただ、この時代の変革期の中で、後世へ残すべきものと、変えるべきものを正しい眼で判断し、時代に沿った大胆で勇気ある改革をして欲しいと思っている。未来永劫、世界から見ても様々な独自の文化的魅力を持った観光都市を目指すべく、先を見通せる公正な眼をもった真のリーダーとなりえる人にどうか上に立って欲しいと願っている。

現在の錦市場玄関

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