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おお、なんとご立派な鳥居でございましょうか。今日もすべての人々に上賀茂神社は開かれているようでございます。私もさっそく参拝をしてきましょう。

上賀茂神社の二の鳥居

上賀茂神社の二の鳥居。

鳥居をくぐって境内に入ります。

上賀茂神社の境内1

おや?あの三角錐の砂山は何でしょうか。

上賀茂神社の境内2

行ってみましょう。

立砂(たてずな)

立砂(たてずな)

盛砂とも云い、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり、神代の昔に御祭神・加茂別雷神が最初に降臨された、本殿の北北西二Km奥にある円錐形の美しい形の神山(こうやま)に囲んだもので、一種の神籬(ひもろぎ=神様が降りられる依代)である。
鬼門・裏鬼門にお砂を槇き清める風習はこの立砂の信仰が起源で、「お清めの砂」の始まりである。

なるほど。この立砂は神山を象(かたど)ったもので、御祭神・加茂別雷神の依代(よりしろ)、ということですか。頂に三本と二本の松の葉が立てられ、陽と陰の一対になっているようです。

さて、さらに先に進んでいきますと、楼門がみえてきました。

楼門1

朱塗の美しい楼門。

楼門2

見てくださいこの楼門。いつ見ても壮大で美しいですね。

今日もたくさんの人でにぎわっているようです。

楼門をくぐった先には?

さあ、この楼門をくぐった先がいよいよ本殿です。

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上賀茂神社の本殿。

本殿

本殿にお祭りされている加茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)。この神様は雷の如く強いお力で厄を払う神様だそうで。さらに方除(物事を行うにあたり、事前に災いがないように御祈願すること)・雷除・必勝のご利益もあるのだとか。
え?なんですって?まだあるのでござりまするか。電気・産業守護・開運・八方除(地相・家相・方位・年回り等から来るあらゆる災いを取り除く御祈祷)などなど・・・・。

さまざまなご利益があるのですね。さすがです。

今日もさまざまな人が訪れていました上賀茂神社。どれほど時がたっても、神様に対する祈りは変わらないようですね。生活の中心に祈りがある。今ではほとんど顧みられなくなりましたが、そんな生き方もいいかもしれません。

自己を超えた「遥か高き神聖なもの」に向かう祈りは、人の人たるあかしであり、人知人力の限界を知るゆえに祈るのである。それは人の謙虚さのあかしであり、人の心の成長のよすがともなる。さすれば、祈ること、祈れることじたいに至福を感じ、そのために日々の営みがあり、生活がある。断じてその反対ではない。

すなわち、生活のために祈りがあるのではない。
祈りは生活の(何かのための)手段ではない(中略)。

手を合わせる女性のイラスト

日本の村々の祭も、農閑期で暇だからするというものではない。人々は次の祭りにそなえて懸命に働く。その収穫を神に供えて、そのおさがりをみんなが一緒に感謝していただき、また次の祭りにそなえて働く。このように人々は祭りのために働くのであって、その反対ではない。私たちの祖先もそうしてきたのである(宮坂宥洪『仏教が救う日本の教育』角川書店、2003年。P89~90)。

祈りについて、ふと思い出したことがあったのでここにその文を紹介してみました。仏教学者の宮坂宥洪氏(長野県岡谷市 真言宗智山派 照光寺住職)のこのご指摘は、祈ることの本質を思い出させてくれる、とても重要なものではないかと思う次第です。人の謙虚さのあかしであり、人の心の成長のよすがともなる祈り。これからも大切にしていきたいものですね。

上賀茂神社

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