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そういえば・・・・・。

東寺

と、ある日、なんとなく東寺をお散歩していたときだった。ふと、こんなことを思い出した。この東寺の傍らには、かつて空海さんが庶民のために開かれた学校があったな。

名前は、そうそう、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)。

・あらゆる学問・芸を幅広く身に付け(綜芸)、
・人間の持っているすべての可能性(種智)を開いていく。

そんな名前の意味を持つ学校だ。

誰もが自由に学びたいことを学べて、幅広く専門以外の事も学び、視野の広い人物を養成するための学び舎。誰もが学ぶことができるよう、有志の寄付による完全給費制だったとされる綜芸種智院。そこでは各分野の一流の人を講師として呼び、仏教・儒教・道教と幅広く自由に学ぶことができたのだという。

儒教・道教・仏教。

それによって、人間の持っている一切の可能性をどこまでも開き、日本国民全体の知識文化レベルを上げていく。空海さんはそれを願って天長5年(828)12月に綜芸種智院を創立したといわれている。

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また、空海さんが綜芸種智院を創立した背景には、次のような事情があるとされている。
たとえば、学問的な偏重の解消だ。
当時の文化の担い手である僧侶や官吏。その人たちは、次のような状態にあった。

僧侶:仏教経典の研究を中心として世間一般の学問から離れていた。
官吏:儒教を学ぶことに忙しく、仏典を読むことはしなかった。

当時の寺院、大学においては、一つの教えに偏る実状にあった。ゆえに空海さんは三教(儒教・道教・仏教)を柱に据えることで、寺院・大学にはない教育を可能にさせようとしたのである。

空海さんのイラスト

また、この時代の都の大学は、あくまでも官吏養成のための学校だった。そこは五位以上の官吏の子弟しか入れず、地方にあった国学にしても、やはり国司の子弟が入る。貧しい者や身分の低い家の者は学ぶところがなかったのが現状だったのだ。

〈庶民の学校を作ることは、日本文化の発展に大いに貢献することであり、大忠大孝の道(広く人々の幸福のために尽くす道)である。空海としては、そうした想いが必ずあったと思われる〉。研究者の方にはこのように評価されている。

仏教・儒教・道教と、幅広く学問・芸を身に付けることによって(綜芸)、
人間の持っている一切の可能性(種智)はどこまでも開いていく。

こうした信念をもとに誰でも人間として学べる学校を作り、日本国全体のレベルを上げていく。

綜芸種智院はそのような学校であったということだ。

参考文献

松長有慶『高僧伝④ 空海 無限を生きる』(1985年、集英社)。
宮城洋一郎「綜芸種智院の世界」(久木幸男 編『仏教教育の展開―仏教教育選集2』2010年、国書刊行会)。
加藤精一『空海入門』(2012年、角川学芸出版)。

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