後編:菩薩としてただひたすらに

阿弥陀仏の画像

南無とは信じ任せること。
南無阿弥陀仏とは、限りない弥陀の光の中にその身を委ねて生きること。
それが阿弥陀念仏の本当の意味なのだよ。

私、空也の話を黙って聞いていた権三は腕を組み、またしばらく考えていたが、ふと口を開いた。
「ま、要するにこんな俺たちでも平等に菩薩として人の役に立っているわけか。そんでお前さんはそんな俺に、俺たちに感謝している。そんで教えを授けてくれた阿弥陀さんたちにも感謝している。だから念仏を称えて、阿弥陀さんの教えに身を委ねるってわけかい」

「そうだ。
① 東市での人々の活動がそうであるように、われらはいつ何時も、階層の上下の区別を超えて、実に多様な関係性の中で生かされている身。その関係性の中で菩薩として区別も差別もすべてを捨てて、ただひたすらに誰かのために尽くすこと。
②菩薩として生きることを自ら誓うとともに、菩薩として生きているすべての人に頭を下げて感謝をすること。
③そう教えて下さった阿弥陀様にも頭を下げて感謝し、阿弥陀様の教えに身を任せて生きてゆくこと。

それが念仏なのだ。そして一度でも、ただ一度でも念仏を称えれば、死んだ後も決して地獄に堕ちることなく、極楽浄土に生まれ変わることができる」

「俺たちのような仏に縁遠い輩でもかい?」
「もちろんだ、阿弥陀仏様は今を生きるすべてのわれらを極楽に迎えとってくださる。誰一人、捨てることなく平等に」
「仏像を造ったりお経を写したりして善行をする必要は?」
「ない、ただ一度でも南無阿弥陀仏と称え、自分の持ち場で誰かのために、ただひたすらに自分の出来ることをしていく。差別も区別もすべてを捨てて。それだけでよい」

「なるほど」
権三は少しだけ腑に落ちた表情を浮かべていた。
権三どの、だからこれからも東市の市人として、菩薩として多くの人々のいのちを支えていってくれ。そなたの価値は今、そこにこそあるのだから
「言われなくてもそうするさ、だからもう行きな。抹香くさい説教はもうこりごりだぜ」
私は笑顔で権三に頭を下げて、もう一度「南無阿弥陀仏」と口に称えた。権三は鼻で笑ったが、そこにはもう侮蔑の表情はなく、どこか涼しげな笑顔があった。

そして・・・・・。

「おい坊主」
去り際、権三が背中越しに私を呼び止めたかと思うと、手のひらを合わせ合掌をして、このように口に称えてくれたのだ。
合掌

「健闘を祈るぜ、南無阿弥陀仏」

健闘、そうだ、私はこれから闘わなくてはならない。

人々を苦しめる絶望、それをもたらす煩悩と闘わなくてはならない。京の都は今、度重なる災害や疫病で荒廃し、人々は迷いと苦しみの暗闇の中にいる。その人々に光を届けるのが、私の使命なのだ。阿弥陀仏様の「空」の教えで人々を苦しみから救い、安楽の世界、極楽浄土へと導く。それが私のなすべきことなのだ。

私、沙弥空也は、改めてその信念を胸に刻み、手を合わせて権三に祈りを返した。

ありがとう権三どの。私もそなたの健闘を祈ろう。

空也の画像

南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。

第4遊行(完)

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