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前編:「南無阿弥陀仏」の真実

「南無阿弥陀仏の念仏とは、そなたが私を生かしてくれていることへの感謝の言葉でもあるのだ」
これを聞いた権三は首をかしげてしばらく考えているが、どうにも分からないという顔をしている。

「権三どの、この東市では今、あらゆる人が階層の上下の区別を超えて、平等にこの世の救済に励む者、菩薩として活動している。そこには区別も差別もない。誰もが今、あるがままの姿でお互いを支え合い、生かし合っているのだ」

菩薩

「ってことは、俺も菩薩ってわけかい?」
「そうだ。権三どの、そなたは今、この鄽(いちくら)の主という菩薩となって私にこの干魚を与えてくれた。そのおかげで、私は今日を生きる糧を手にすることができた。そなたは私のいのちを支えてくれているのだよ。しかも、それだけではない」
私は、その傍らで私の衣の裾をつかんで離さない童女をやさしく見つめ、そしてまた権三に視線を移してこう伝えた。

「そなたは、一度は盗みを犯したこの童女を許してくれた。私はそれが何よりもうれしいのだよ。物の商いのお仕事を通じてだけでなく、一人の人としても、その心で今を生きようとするいのちを助けてくれたのだから。だから私はそれに心から感謝して、そなたに向かい念仏を称えるのだ」

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「しかしわからねえな、なんでその感謝の言葉が〈南無阿弥陀仏〉になるんだ」
「あらゆる人が階層の上下の区別を超えて、平等にこの世の救済に励む者、菩薩として活動している。この教えはわが師、阿弥陀仏様とその弟子たちが教えて下さったものだからだ。権三どの、そなたのおかげで私は阿弥陀仏様たちの教えが真実であることが分かった。だから菩薩としていのちを支えてくれているそなたに感謝すると同時に、阿弥陀仏様たちにも感謝して、その教えに身を委ねて生きることを誓うのだ」

南無とは信じ委ねること。
南無阿弥陀仏とは、限りない弥陀の光の中にその身を委ねて生きること。
それが阿弥陀念仏の本当の意味なのだよ。

「後編:菩薩としてただひたすらに」へ続く

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