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その朝も、羅城門に住んでいる万年寝たろうグータラ・クズ男の俺に、母親の容赦ないゲス攻撃が繰り出されたのである。
いつまで寝とるか!いいかげんに起きろこのバカ息子、
ウガ~~~~!ドグシャ!
ママの必殺トゲトゲ棍棒が俺の頭に直撃し、今日も文字通りたたき起こされる。いいねえ、最高だよ、気持ちいいよ、ママの棍棒。
「やあママ、おはよう」
「おはようじゃない!もう夕方だ」
もういっちょ、ママの横殴りの棍棒が俺の顔面にお見舞いされる!
ガ~~~~~ン!!ぶほああぁ!!
薄れゆく意識の中で、俺はこう思った。そんな時間まで寝ていたのか。なんてこった、まあいいや。
「ったく、このグータラダメ鬼息子が。罰として夕メシ抜きだ。そんであと少しで夜だから、肝試しにやってくる命知らずのガキどものために、羅城門がどんなに恐ろしい場所か説明しいや。できなかったらお前を土鍋にぶち込んで食っちまうからね!」
鬼の母親の恐ろしい脅し文句に、ぐうの音も出なかった俺は、しかたなく羅城門について語るのだった。
さて、この羅城門に住み着いて何年になるか。と言っても今はこのザマだがな。見てみろ、かつては壮麗な楼門であった羅城門も、今ではこんな小さな石碑に「羅城門」と書いて突っ立っているだけだ。
・・・・なに?羅城門がなにか分からない?おい貴様、知らんのか羅城門を。しょうがないな。では今からこの偉大なるバカ息子が教えてやろう。それはだな、かつて京都市が平安京と呼ばれていた平安時代、都の南端に表玄関として建てられた門のことだ。「羅城」とは中国の城郭都市における、外敵の侵入を防ぐために都市を囲んだ城壁のことなんだが、外敵の脅威にさらされることのなかったこの国では羅城がつくられることはなかった。唯一、外国の使節の目をごまかすために、九条大路に沿う南側に東西に広がる城壁が造られたことを除いてな。そしてそこに開かれた正門がこの羅城門なのさ。
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んじゃいったいそれはどんな門だったのかと言うと、こ~~んな門よ!
さあよみがえれ、羅城門、ど~~ん!
どうだ、素晴らしいだろう?
正面は添塀を含め幅約80mもあって、奥行き21m、高さ24m、二層構造の重厚な造りで瓦葺の屋根の両端を飾る鴟尾は黄金に輝いている。この羅城門が平安京の表玄関を彩り、平安京の威容を象徴していたのさ。ここでは外国使節を迎える儀式や鎮護国家の儀式が行われ、公的な建造物として機能していたんだぜい。
羅城門都の内と外が接触する場、神や鬼と出会う異界に接する場とも呼ばれていた。だから羅城門、特にその楼上には鬼が住んでいると物語によく語られている。
デッヘッヘッヘッヘ。
いや~~、光栄だな。え~~と、あれは誰だったかな、矢川だったか、茶川だったか、ああ、芥川の龍さんだ。その人が荒れ放題の羅城門を舞台に物語を書きやがったよな。「お前はクビだ!」と言われて仕えていた主人に追い出された下人が、生き延びるために羅城門の二階できったね~死体の髪の毛を抜いていたババア(鬼?)から髪の毛を奪い、さらにババアの着物を剥ぎ取って去っていく。「お前の服を、こっちによこせ、早く」「ふざけんなよこの野郎!」ガ~~ン!「ひえ~~、お助け~~」ってな。
まあそんなこんなで、羅城門にはいろいろな逸話がある。それも今は昔の話だがな。しかし俺たちは、今でもこの羅城門で鬼となって住み着いている、かもしれない。真夜中のお散歩中、門跡に怪しいババアがいたら、そいつは俺のか~ちゃんかもな。今でも羅城門は俺たちみたいな鬼がおる魔界スポットなんやで~~~~。信じるか信じないかは、あんた次第や。
ヒエ~~~ヒェ・ヒェ・ヒェ・ヒェ。
参考にした情報
- 『京都魔界地図帖』(2015年、宝島社)。
- 「平安京・羅城門とは」(インターネットサイト「羅城門再建支援委員会|文化遺産プラットフォーム」より)。
- 「呼びかけ文」(同に上じ)
- 「羅城門再建支援委員会|文化遺産プラットフォーム」のURL: http://tomorrows-kyoto.jp/rajomon/
羅城門跡
- 住所:京都府京都市南区唐橋羅城門町
- 営業時間:見学自由
- 定休日:無休
- 料金:見学自由
- アクセス
公共交通:JR京都駅→市バス78・208・16系統、バス停:羅生門下車、徒歩3分。または近鉄東寺駅から徒歩10分。
車:名神高速京都南ICから国道1号経由4.5km15分。 - 駐車場:なし。
- 羅城門の復元模型が京都駅北口広場(京都タワーが正面に見えます)にあります。
この記事を書いた人
じゅうべい(Jubei)
みなさんこんにちは。今日も元気がとまらない地球人、じゅうべいです。好きなことは遊ぶこと(漫画に映画、音楽(Jロック等)にカフェ巡り)です。
よろしくお願いします。