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近頃はコロナもあまり話題にならず、さまざまな観光客が日本あるいは外国からぞくぞくと京都にやってきている。そんな状況だからこそ、最近はこう思うことがけっこうある。
せめて道案内くらいの英語は使えた方がよさそうだな。
ごくたま~にだけれども、外国の人に道を聞かれることがある。そうした場合、ジャスチャーや片言英語でも通じないことはないけれど、やはりちゃんと伝えられた方がいいのではないかと思った。その方が外国の人にも分かりやすいだろうし。
あと、このようなこともあった。
とある地下鉄の電車の中にて。
外国の人「Can you speak English?」
私「A little」
外国の人「今日はなぜ人がこんなに多いのですか?(英語で聞き取った意味)」
私「・・・・・Oh(理由は分かったが、それを英語で何と言っていいのか分からない)」
外国の人「HA HA HA(・・・・笑われた〈笑〉)」
その後、スマホを使ってなんとかやりとりはしたものの、やはりちょっと恥ずかしかった。話せると言っておきながら実際は・・・・・おいおい(しかし、外国の人が言った質問の意味は分かったぞ)。
そんなこともあるから、道案内と簡単な英語くらいは話せた方がいいのかな、と思うことが最近けっこうある。
だが、しかし・・・・・・・。
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たとえ話し方を確認して覚えても、その時は覚えていても、数日たつと忘れてしまう。なので結局意味がない。ああ、かなしいかな・・・・・。
まあ、日常生活で英語はほとんど使わないから、しょうがないね。
と開き直る始末。日本では日常で日本語こそ当たり前に使うけれど、英語はそうではないからね、人によっては全く使う機会がないからね(←ごめんなさい、私です)。しょうがないね・・・・・と。
だがしかし、一理はあってもそんなセリフはしょせん英語学習に対する言い訳でしかない。だから道案内くらいの英語は話せた方がいい、と思う今日この頃であった。
がんばろう。簡単な英語くらいは話せるようになろう。
そしてまた忘れる・・・・なんてことは、ない。
この記事を書いた人
じゅうべい(Jubei)
みなさんこんにちは。今日も元気がとまらない地球人、じゅうべいです。好きなことは遊ぶこと(漫画に映画、音楽(Jロック等)にカフェ巡り)です。
よろしくお願いします。