2.仏陀の教えを支えに生きる―仏土聖諦 仏様の大地― 後編
投稿日:2022年06月16日投稿者:じゅうべい(Jubei)
カテゴリー:1.仏法の道―慈悲の楽園 大如来蔵浄土― , 地上極楽巡礼記―智慧と慈悲の共生社会―
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後編:仏陀の教えを支えに生きる その2
-仏教的な心のあり方、そして四恩と十善と-
日常生活における仏教的な心のあり方としては、次のようなあり方が示されている。
人間は努力次第で誰でも仏陀になることができる。
自らの努力と知性によってあらゆる束縛から自らを自由に解放せよ。
自らの力で道を歩むのだ。
疑いは真理を明確に理解し、精神的に進歩するための妨げである。
本当に進歩したければ、疑問をなくすのだ。
そして疑問をなくすには、物事を明晰に見ることが必要である。
自らの宗教のみを信奉して、他の宗教を誹謗するな。
他の宗教も敬うべきである。
そうすることで、自らの宗教を成長させることになるのみならず、他の宗教にも奉仕することになる。
差別的で偏屈な名称は、各人が真実を理解する妨げになるし、人々に有害な偏見を抱かせる。大切なことは、真実や人などに名称をつけて差別的に見ることではなく、真実を目の当たりにし、理解することである。
大切なのは「見ること」、知ること、理解することであり、「信じること」ではない。肝心なことは、信心を通して信じることではなく、知識や英知を通して見ることである。また、一つの教えに固執し、他の教えを非難するな。
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そしてもう一つ、人々が大切にしている教えがある。それは、すべての私たちはこの世の中で決して自分一人の力で生きているのではない、ということだ。私たちは常に、四つの恩に支えられて生かされている身なのである。
父と母という存在があって自分が生まれ、小さい時から育ててもらうという恩を受けている。
統治者ということのみならず、社会的な治安を守ってくれる恩のこと。
私たちはあらゆる命から恩を受けている。人間だけが大切なのではなく、その他すべての生類、山川草木も、皆同じ命を生きてお互いに支え合っているのだ。
仏様と、教えである法と、それを説く僧侶に対する恩。三宝があるからこそ、私たちは安楽の道を歩むことができるのである。
すべての私たちは、この世の生活の中で常にこの四恩に支えてもらっている。そのおかげで今を生きてゆくことができているのだ。だからこそ、今すぐにでも恩を受けているすべてのものに十善をもって恩を返してゆくのである。
十善、それは身の回り、言葉、心の働きにおいての十種の悪行を離れることだ。
一、殺生:人や生物を殺すこと。
二、偸盗:他人の財物を盗むこと。
三、邪淫:夫または妻でない者に対して淫らで卑しい行為をすること。
四、妄語:うそをつく。うそいつわりのこと。
五、両舌:他人をそしり、人の仲を裂く言葉。
六、悪口:人を悩ます言葉。粗悪で荒々しい言葉。
七、綺語:口から出まかせの、いいかげんな言葉。
八、貪欲:自己の欲するもの(愛や名誉等)を貪り求めること。
九、愚癡:迷ったり惑わされたりしているために、物事の正しいあり方を認識できないこと。
十、瞋恚:自分の心に違う者を怒り恨むこと。
お釈迦様の説かれた四聖諦等の教えを胸に刻み、仏・法・僧の三宝を大切にしてゆく。そして日常生活における六種の人間関係を守り、仏教的な心のあり方で日々を過ごし、四恩に十善でもって報いていく。
このようにして、仏陀の教えを支えとした日常生活を営んでいくのである。
この聖伝のすべての基盤となる仏様の大地。
そしてその教えは、その後お釈迦様の弟子たちに受け継がれ、
連綿とその生命の歴史を紡いでいくことになるのだ。
仏土聖諦:仏様の大地
この仏様の大地の上に、
すべての存在を結びつけて共存共栄を目指す華厳の浄土世界が構築されるのである。
「2.仏陀の教えを支えに生きる―仏土聖諦 仏様の大地― 」(完)
この記事を書いた人
じゅうべい(Jubei)
みなさんこんにちは。今日も元気がとまらない地球人、じゅうべいです。好きなことは遊ぶこと(漫画に映画、音楽(Jロック等)にカフェ巡り)です。
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