第3楽章 念仏聖 空也の布施行―後編―
投稿日:2022年01月24日投稿者:じゅうべい(Jubei)
カテゴリー:第4遊行 東市の市人(いちびと)権三の帰依―菩薩としてただひたすらに― , 平安仏教聖伝―阿弥陀聖(ひじり)空也編―
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後編:菩薩としてただひたすらに
南無とは信じ委ねること。
南無阿弥陀仏とは、限りない弥陀の光の中にその身を委ねて生きること。
それが阿弥陀念仏の本当の意味なのだよ。
私、空也の話を黙って聞いていた権三は腕を組み、またしばらく考えていたが、ふと口を開いた。
「ま、要するにこんな俺たちでも平等に菩薩として人の役に立っているわけか。そんでお前さんはそんな俺に、俺たちに感謝している。そんで教えを授けてくれた阿弥陀さんたちにも感謝している。だから念仏を称えて、阿弥陀さんの教えに身を委ねるってわけかい」
① 東市での人々の活動がそうであるように、われらはいつ何時も、階層の上下の区別を超えて、実に多様な関係性の中で生かされている身。その関係性の中でこの世の済者に励む者、菩薩として区別も差別もすべてを捨てて、ただひたすらに誰かのために尽くすこと。
それが念仏なのだ。そして一度でも、ただ一度でも念仏を称えれば、死んだ後も決して地獄に堕ちることなく、極楽浄土に生まれ変わることができる」
「俺たちのような仏に縁遠い輩でもかい?」
「もちろんだ、阿弥陀仏様は今を生きるすべてのわれらを極楽に迎えとってくださる。誰一人、捨てることなく平等に」
「仏像を造ったりお経を写したりして善行をする必要は?」
「ない、ただ一度でも南無阿弥陀仏と称え、自分の持ち場で誰かのために、ただひたすらに自分の出来ることをしてゆく。差別も区別もすべてを捨てて。それだけでよい」
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「なるほど」
権三は少しだけ腑に落ちた表情を浮かべていた。
「権三どの、だからこれからも東市の市人として、菩薩として多くの人々のいのちを支えていってくれ。そなたの価値は今、そこにこそあるのだから」
「言われなくてもそうするさ、だからもう行きな。抹香くさい説教はもうこりごりだぜ」
私は笑顔で権三に頭を下げて、もう一度「南無阿弥陀仏」と口に称えた。権三は鼻で笑ったが、そこにはもう侮蔑の表情はなく、どこか涼しげな笑顔があった。
そして・・・・・。
「おい坊主」
去り際、権三が背中越しに私を呼び止めたかと思うと、手のひらを合わせ合掌をして、このように口に称えてくれたのだ。
「健闘を祈るぜ、南無阿弥陀仏」
健闘、そうだ、私はこれから闘わなくてはならない。
私、沙弥空也は、改めてその信念を胸に刻み、手を合わせて権三に祈りを返した。
ありがとう権三どの。私もそなたの健闘を祈ろう。
南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。
第4遊行(完)
この記事を書いた人
じゅうべい(Jubei)
みなさんこんにちは。今日も元気がとまらない地球人、じゅうべいです。好きなことは遊ぶこと(漫画に映画、音楽(Jロック等)にカフェ巡り)です。
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