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「大地は生きている。人間もまた、生きている」
そんなセリフがいまもずっと心に残っている。監督 佐藤純彌氏、主演 北大路欣也氏で1984年に公開された映画『空海』。かの有名な弘法大師 空海の生涯を壮大なスペクタクルで描いた大河ドラマだ。真言密教(大日如来の秘密の教え)によって生きとし生けるすべてのものに安心立命の道を示さんとして、その生涯を仏法に捧げた空海。その壮大な生きざまが、この映画の中では描かれている。
すべての私たちはみな悉く、大日如来の広大な慈悲に包まれて生かされている。
この世に起こるすべてのこと。この世に起こるすべての現象。
今ここに生きているわたしたち。
そのわたしたちは皆、実に大日如来の化身として
平等に生かされている身なのである。
このような壮大無限の世界を生きる真言密教の教えによって、弘法大師 空海はその力を世のため人のために使いつづけた。
ある時は病や火事で苦しむ民を憐んでその心を救い、またある時は、苦しむ人々のために不眠不休で命がけの加持祈祷を行って大日如来の妙なる力と交感を果たし、この世に生きるすべてのものたち、全宇宙と一体となってある大事業を成し遂げることも。
これらは決して根拠のない盲目的な神秘にすがる行為ではない。すべての根源的存在である大日如来と一体となり、その広大な智慧と慈悲によってすべてのものたちを救うという利他行に他ならないのである。
この映画では真言密教の教えを基盤として、社会を主体的に生きてゆく、そのモデルの一つが提示されているように思う。仏教とは何か、宗教とは何か。それを知り、それを考えるよいきっかけになる映画ではないか、と思った。
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ちなみに「宗教」とは、
また〈宗〉はこれすなわち〈教えの中にひそむ究極の理(ことわり)〉。〈教〉はこれすなわち〈「宗」を相手に応じて説いたもの〉を意味する(中村元 編、福永光司 編、田村芳朗 編、 今野達 編、末木文美士 編『岩波仏教辞典 第三版』「宗教」の頁。2023年、岩波書店)。
とすると、空海は真言密教(大日如来の秘密の教え)という最も大切な教え(究極の理)を、様々な手段を用いて相手に応じて説き示すことで、社会に人に貢献した人物といえるであろう。
「このいのち、もともとは宇宙の根源、大日如来より頂いたもの。
これより、大日如来のもとへ還る」
すべての私たちは大日如来という広大な仏海より生まれ、
現実の世で大日如来と共に生き、
人としての命終わりし時は、
再び大日如来という広大な仏海へと帰還してゆく。
映画の中で空海の最期のセリフを耳にしたとき、私の中でこのようなイメージがふと浮かんできたものだ。
「空海はみずからの病や死に対してはなんらの不安や恐怖をもたなかったようである。喩伽の観法(大日如来と一体となる観法)によって大日如来との一体化を果し、大宇宙の生命と融合した瑜伽の行者(大日如来と一体となった行者)にとって、 そこでは生とか死に対する苦は超越していて当然である」
「空海にあって死とは、大宇宙の生命力と合体し、
大自然の中に帰っていくことであった」
これは、密教研究の第一人者として知られた松長有慶氏(1929~2023年)の御指摘である。
われらはこの世で大日如来と共に生き、大日如来と共にその道を歩みゆく。やがて年を経、いのち終わらんとする時は、大宇宙の如来の生命(いのち)と一つになりて、また再び大自然へと帰還する。
弘法大師 空海の人生、いや、それだけでなくすべてのわたしたちの人生とはまさに、壮大無限のいのちを生きる旅なのだ。
それを教えてくれたのが、ほかならぬ『空海』という映画であった。
参考文献
松長有慶「空海にみる生と死」(『印度學佛教學研究』第42巻第1号、1993年)。
小峰彌彦『図解・曼荼羅の見方』(大法輪閣、1997年)。
宮坂宥洪『仏教が救う日本の教育』角川書店、2003年)。
加藤精一『空海入門』(角川学芸出版、2012年)。
空海・加藤精一『空海「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」 ビギナーズ 日本の思想』(角川学芸出版、2013年)。
瓜生 中『よくわかる真言宗 重要経典付き』(株式会社KADOKAWA、2016年)。
中村元 編、福永光司 編、田村芳朗 編、 今野達 編、末木文美士 編『岩波仏教辞典 第三版』(2023年、岩波書店)。
この記事を書いた人
じゅうべい(Jubei)
みなさんこんにちは。今日も元気がとまらない地球人、じゅうべいです。好きなことは遊ぶこと(漫画に映画、音楽(Jロック等)にカフェ巡り)です。
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