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こんにちは。お知らせの刻限になりました。HHK(エチエチケー)(平安放送協会)からの衝撃的なお知らせです。まずは、こちら。

坂東の荒くれ武者、平将門(たいらのまさかど)氏、謀反。

平将門

日本の第50代桓武天皇四代の皇胤であり、平氏の姓を授けられた高望王(たかもちおう)の三男、鎮守府将軍平良将(ちんじゅふしょうぐん たいらのよしまさ)(または良持)の子である平将門氏。

高望王が関東に国司として下り土着してからというもの、桓武平氏は関東各地で勢力を伸長してきました。将門氏はいわゆる負名(ふみょう=名〈土地〉を負う者=土地の経営者)として名(土地)を経営していた武士なのですが、一体、彼に何があったのでしょうか。

現地では、藤原長道(ふじわらのながみち)報道官と中継がつながっています。
藤原さん。

藤原長道(ふじわらながみち)報道官

はい、こちら下総猿島郡石井郷(しもうさ さしまぐん いわいごう)から中継をお送りしております。

藤原さん、さっそくなのですが、平将門氏の国家への謀反。その背景にはいったい何があるのでしょうか。

はい。将門氏が謀反を起こした背景ですが、その発端として納税をめぐる国府側とのトラブルがあると思われます。

税をめぐるトラブル。
藤原さん具体的にはどのようなトラブルでしょうか。

はい、それはですね。具体的には常陸国(ひたちのくに)の住人源玄明(みなもとのはるあき)氏が、税を納める際に国司(地方の国を治める役人)の藤原維幾(ふじわらこれちか)の子弟郎党が、その権力を振りかざして無茶な要求を突きつけてくるとして納税を拒否したことにあります。それによって玄明氏は、国司からの追捕を受けることになってしまいました。追捕を受けた玄明氏は将門氏に助けを求め、将門氏がそれに応じたかたちです。
しかしですね、あろうことか将門氏は常陸国府を焼き払い、さらに下野・上野国府をも陥れ、自ら「新皇」と称して下総猿島郡石井郷に王城を営み、文武百官を任じて一族を関東の国司にするに至ってしまったのです。

どのような理由であろうと国としてはそれを許すわけにはいきません。朝廷は将門氏を追捕するため、東国を守備していた藤原秀郷(ふじわらのひでさと)・平貞盛(たいらのさだもり)らの兵4000を現地に派遣し、今まさに戦いの火蓋が切って落とされているのです。

藤原さん、いま戦局はどのようになっていますでしょうか。

はい。現在の戦局はいいとは言えないのが現状です。戦いは天慶3年(940)2月14日、未申刻(午後3時)に始まり、潜伏中の将門を発見した討伐軍はただちに総攻撃を開始しました。しかしながら、将門氏自身が陣頭に立ち、追い風に乗って攻めてくるため、4000のうち半数以上が壊走する事態に追い込まれているのです。

私も安全なところに避難しながら、こうして報道を続けておりますが、
果たしてどうなるのか、不安は募るばかりです。

現場からは以上です。また動きがあり次第お伝えします。

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いや~、まさか平将門氏が国に対して謀反を起こし、「新皇」と称すことは驚きを隠せません。一方こちらは、その将門氏を調伏するために延暦寺首楞厳院(しゅりょうごんいん)で行われている祈祷の様子を中継したものです。

現場にいます由高式部(よしたかしきぶ)報道官、
聞こえますでしょうか。

由高式部(よしたかしきぶ)報道官

はい。こちらの延暦寺首楞厳院ではですね、今まさに将門氏を調伏するための祈祷が行われているところです。祈祷者はあの、死者を甦らせ魔を滅する、強い霊力で知られた天台僧の浄蔵ということです。彼はかつて、父親の三善清行氏が死去した際「土御門橋」(現在の一条戻橋)の上で祈りを捧げ、清行氏をほんの一時現世に戻したという奇跡を起こしています。それだけに、今回もその験力に大いに期待がかかるところです。

果たして、どうなるのでしょうか。

祈祷をする僧侶の浄蔵

将門よ、坂東の荒武者よ。国家に背き、いやしくも「新皇」を自称するとは断じて許し難し。覚悟するがよい。

将門の首、それは必ず京に懸けられることであろう。

霊力宿りし神の矢よ、
どうか坂東の地に荒れ狂う平安の魔王平将門を貫きたまえ!

矢ああァ!

空を飛ぶ神の矢

っは!みなさん!見えましたでしょうか。いま、いま矢のようなものが物凄い速さで天に向かって放たれました。ああ、あの矢は果たしてどこにいくのでしょうか?

とりあえずこちらからは以上です。

由高式部報道官、ありがとうございました。
・・・・あっと、ここで速報です。速報が入りました!

なんと、将門氏が討たれたとのことです。
繰り返します。将門氏が討たれました。
たったいま将門氏が敗死したとのことです。

いったい何が起こったのでしょうか。

現地の藤原さん。

藤原長道(ふじわらながみち)報道官

はい。なんとですね、たったいま突然に風向きが変わりまして将門軍の馬が立ち往生し、一瞬で立場が逆転した模様です。
そしてですね、これもどこからともなく飛んできた矢がですね、将門氏の額に見事命中しましまして、彼はあっけなく絶命してしまったようなのです。

額を矢で貫かれる将門

K・O
ゼッツメイト!

以上、現場から衝撃的なお知らせをお伝えしました。

その後、将門の首は藤原秀郷らが持ち帰り、浄蔵の予言通り都の東市(ひがしのいち)でさらされた、ということである。

※ゼッツメイト
死ぬという意味の絶命と、どうにも逃げられない最後の詰めの一手を意味するチェックメイトを組み合わせた造語(作者作)。

参考文献

『京都魔界地図帖 ~地図と写真でたどる京都裏歴史ロマンの旅 』(〈別冊宝島 2356〉2015年)。
下向井 龍彦 『武士の成長と院政 日本の歴史07』 (講談社、2009年)。
朝尾 直弘・宇野俊一・田中琢編『角川日本史辞典』「平将門」「平将門の乱」の頁(1997年、角川書店)。

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