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皆さん、お元気にしておられますか。お元気ですと何よりです。落ち武者です。八坂神社の御祭神であるスサノオノミコト(素戔嗚尊)様は、ついにヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治なされ、無事に草薙剣(くさなぎのつるぎ)をアマテラスオオミカミ(天照大御神)様に奉納なさいました。いよいよスサノヲ様はどうなるのでしょうか。話の続きをしましょう。

この事の後に、アシナヅチ(足名椎)様である、イナダノミヤヌシスサノヤツミミ(稲田宮主簀狭之八箇耳)様が御生みになられた、マカミフルクシイナダヒメ(真髪触奇稲田媛)とご一緒に、出雲の国の簸(ひ)の川上(斐伊川の川上)に遷られ(うつられ)そこに住み、長く療養なさいました。

この事によって、ハヤスサノオノミコト(速須佐之男命)様は、お住まいを作るべき所、クシイナダヒメ(奇稲田媛)様と、ご結婚なされ生活を営まれる所を、出雲の国に探し求められました。

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ここで遂に、スサノヲ様は須賀(須地、すが)の地に辿り着かれました。須賀、この地の事を素鵝(すが)と云うのであります。(出雲大社の素鵞の社(そがのやしろ)とは、スサノヲ様が神代の、須賀の地に御鎮まりなさっている事を表し、代々我々日本人は奉っているのです。)

スサノヲ様は、須賀の地に到着して直ぐに、詔して(みことのりして)申されました。「私は、この地に来て、我が御心(みこころ)は清々しい(すがすがしい)。」この話によって今、この地を名付けて清(すが)と云うのです。スサノヲ様は、その地に宮を建てて住まわれました。スサノヲ様が住まわれ、名付けられたその地が須賀(素鵞)と云うのです。

このカムロタケハヤスサノオ(加武呂建速須佐之男)の大神(おおかみ)(※伝えられている所では、大神とは勿論、天照大御神様のことをお呼びするのですが、ここで初めて、スサノヲ様のことを大神と表されているのです。)が、初めて須賀の宮をお造りになられた時に、その地より、雲が沸き上がるように立ち昇りました。

雲が立ち昇るのを見て、スサノヲ様は御歌(おうた)を作られ、お詠みになりました。その歌は、八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

その大意は、八重にも雲が沸き上がる 出雲の国の八重の垣根のような雲よ 愛しい妻を籠める為に 八重の垣根を作ってみせるよ その八重の垣根の雲のような八重の垣根を

こう歌われました。

(この歌は、日本最初の和歌と伝えられています。出雲大社や熊野大社、八坂神社、全国の神社の神主様や宮司様が祝詞を奏上されると、熱心な信者の方々が、何時何時までも八重の垣根を作るように、神社に押し寄せること、終わりのない世を表しているようで、目出度いことだと私は思います。神主様や宮司様のお嫁様との仲睦まじさ、縁結びも表されていると思います。)

(続く)

ハヤスサノオノミコト

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