第3楽章 青い風の光―前編―
投稿日:2023年11月27日投稿者:じゅうべい(Jubei)
カテゴリー:第11遊行 阿弥陀念仏の光―穏やかな温もり 明かりが灯される― , 平安仏教聖伝―阿弥陀聖(ひじり)空也編―
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前編:あらゆる階層の上下の区別を超えて
「では上人(しょうにん)どの、阿弥陀仏さんは今ここにもいらっしゃるというのかい?」
「ああ、いつでも、どんな時でも、どんな場所にもいらっしゃる。こうして念仏を称えれば、阿弥陀仏様はいつでも私の前に姿を現わして下さるのだよ」
「南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏」。
青い空が天を覆い、青い風が吹く都の市で、鹿皮の衣に身を包みし空也上人が、今日も人々と共に語らう。市の雑踏のただ中で、薦を廻らしそこに坐し、眼前に乞食用の破盆を置き、穏やかに食を乞いながら。人々と共に念仏の教えを分かち合っている。
「へえ、どこにいると言うんで?」
「今、ここに」
「なんだよ、見えねえじゃねえか」
「柴樹(しばき)どの、阿弥陀仏様に姿かたちはないのだ。しかし念仏を称えた時、吐息となってわれらの前に姿を現わして下さるのだよ」
「わっかんねえな、どういう理屈だ?」
「つまりは、こういうことなのだ、柴樹どの」
と、空也上人はそこらに落ちていた枝きれを取り、地面に「空」の字を書き、それをマルで囲った。
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「阿弥陀仏様は、私たちに〈空〉(くう)の教えを示して下さっているのだよ」
「くう?」
「そう、空だ」
空也上人は枝きれで空の字を指した。
「空の教え、それは一言で言うと、この世に存在するあらゆるものは、実に多様な関係性の中で成り立っているものであって、もともとは固定的な実体というものを持ってはいない、という教えのことをいうのだよ。阿弥陀仏様はその教えをいつでも私たちに示して下さっている」
だから今この時も、
阿弥陀仏様は姿かたち、固定的な実体を持つことなく存在しているのだ。
「しかしよ上人」
柴樹と呼ばれた人は、上人様に続けて問いを投げかけた。
「その〈空〉の教えが俺たちの生活とどう関わるってんだ?」
「そうだな・・・・たとえば」
と、上人様は枝きれを使って「空」の字の左側に縦書きで「東市」(ひがしのいち)と書き、それを四角で囲う。
「この世に存在するすべてのものは、もともとは固定的な実体はなく、存在しないものなのだ。この東市も・・・・」
と、枝きれで「東市」の字を指す。
「もともとは、この場所に存在してはいなかった」
上人様はさらに話を続ける。
「ではなぜここに市が成り立っているのか。それは紛れもなく、ここにいるすべての皆の衆のおかげで成り立っているのだ」
「俺たちのおかげで?」
・モノを売る者は買う者に安楽を与え、モノを買う者は売る者に安楽を与える。
東市は今やあらゆる階層の上下の区別を超えて、
実に多くの皆の衆の活動のおかげで成り立っているのだ」
〈後編に続く〉
この記事を書いた人
じゅうべい(Jubei)
みなさんこんにちは。今日も元気がとまらない地球人、じゅうべいです。好きなことは遊ぶこと(漫画に映画、音楽(Jロック等)にカフェ巡り)です。
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