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前編:人々の、いのちを守る羅城門(らいせいもん)

「空也さま、はやくはやく」
晴れ渡った空の下、幼い童女に手をひかれ、私はいっしょに駆けだしている。
「こっちだよ」
その表情に、満面の笑みを浮かべながら。
と、童女は走るのをやめて立ち止まり、その壮麗な門を指さして言った。
「ここだよ」

おおぉ、ここか。やはり素晴らしいな、いつ見ても。

私は指さされた巨大な門を前に、思わず感歎の声をもらしてしまった。

晴天の羅城門

見よ、このすばらしき壮麗さを。二重の閣の入母屋造のそれは、七間五戸(横幅が添塀を含め約八十m、奥行きが二十一m、高さが二十四m)もの圧倒的巨体をこの大地に据えつけて、すべてのわれらの眼前に聳え立っている。そしてその巨体は、何本も立つ朱塗りの柱によってしっかりと下から支えられている。

この圧倒的な巨大さ。そしてほかには類を見ない、この壮麗な佇まい。いつ何時も、それは都の威容を象徴する門として、私たちの眼前に聳え立っている。

さらに・・・・・。

門の頭上に目を移せば、巨大な瓦葺の屋根が、壮大に軒を列ねているのが見える。そしてその屋根の両端を飾る鴟尾(しび)は、天より降り注ぐ陽の光を受け、燦燦と黄金にひかり輝いている有様だ。

この門は、今日も変わらず京の都の中央路、朱雀通りの南端に、どんと構えて聳え立つ。静かに、そして、厳かに。都に住まう人々の、いのちを守り抜いてくれる、巨大な羅城の門として、威風堂々とそこに立つ。

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羅城門の「羅城」とは本来、都城制において「外敵の侵入を防ぐために都市を囲んだ城壁」のことだ。そしてそこに開かれた門が羅城門と呼ばれていたのである。しかしかつての唐の都長安のように、外敵の脅威にさらされることのなかったこの国では羅城がつくられることはなかった。唯一、外国の使節の目をごまかすために、九条大路に沿う南側に東西に広がる城壁が造られたことを除いて。そしてそこに開かれた正門がこの羅城門なのだ。

燃える炎(災害のイメージ)

都に住まう人々の、いのちや暮らしを戦火や疫病から守る。

羅城門はそんな精神的な象徴として建てられているのだという。「羅城」なくして住民の、暮らしといのちを守るという強い思いを込め、門にのみその機能を果たすべく仮託し、「羅城門」と名づけられた、そういわれている。

羅城門、その本質はつまるところ、都の守り神であるということになろうか。この門によって造り出される空間は、都の内と外が接触する場、神や鬼と出会う異界に接する場と呼ばれている。故に都の貴族たちは、羅城門それ自体を都の外からやってくる敵(すなわち疫病や戦渦など様々な災厄)をくい止める巨大な「賽の神」や「守宮神」に見立て、そこで国家安泰を祈願する儀礼(大嘗会と仁王会に関する法会・祭事)などを行ったりしているのだ。

こうした儀礼を行うことで、国家に仇なすモノ〈物・霊・鬼の類〉どもを、ガランドウの聖なる空間たる門の楼上に封じ込め、それと同時にその底知れぬ破壊的な〈力〉を逆手にとって、外より来たるであろう見えざる敵から都を守るのである。

この場所にもう一人、私が助けなければならない人がいるのだ。急がなければ。

私は〈人々の、命を守る羅城門〉を前に、苦しみ生きるその人を助ける決意を固めるのであった。

「後編:笑顔の出会い」へとつづく。

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