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はじめに

こないだ、たまたまテレビをつけたら、四条通を歩いてる某タレントが「XXさんは京都へ来て、何が一番食べたいですか?」と聞かれて、「おばんざいですぅ~!」て答えとった。

ほんで、先斗町にあるとかいう「おばんざい」の専門店とやらに案内してもろて、ずらぁ~と並んだいろんな「おばんざい」を見て、えらい黄色い声を上げて喜んだはった。

先斗町のたたずまい

いわゆる「おばんざい」

あんなわざとらしいシーンを見せられると、コラム子みたいな京都の人間は、あほらしいてシラ~となるんえ。

近頃盛んにもてはやされる「おばんざい」てなことば、京都に住んでるもんは絶対に使わへんもんなぁ。

京都では「おかず」いいます

「おばんざいとは?」という質問に答えて、京都のことを知ってそうで、実は大して知らんお人がもっともらしい答えて、

「『おばんざい』とは、昔ながらの京都の家庭料理のこと。旬の食材を使って、手近な素材を手間をかけずに使い切る日常の総菜のこと。始末の心得に基づく、京都の普段の家庭料理。」

とか、定義したはるのをよう目にしますな。

ほんで、先斗町辺りの「おばんざい」専門店みたいな、小皿に盛り付けたいろんな料理のオンパレードを紹介したりしたはる。

あんなん見たり聞いたりするたんびに、京都の人間のコラム子は片腹痛うなってくるんや。

まず第一に、京都では100人が100人絶対「おばんざい」とはいわへん。

「おばんざい」に詳しい研究家とやらが定義したはる「昔ながらの手近な素材を云々」てな日常の総菜のことは、京都のひとは「おかず」いいます。
「お母さん、今晩のおかず何え?」とか、
「うっとこでよう作るおかずは~」とか。

普段食べてる家庭料理のことを、京都じゃ「おかず」いうんが普通です。

大正生まれでも、昭和生まれでも、平成生まれでも、令和に生まれた子どもでも、時代に関係のう京都ではみ~んな「おかず」ていいますえ。

そもそも「おばんざい」てなことば、京都では市民権あらしまへんななぁ。
それに、いろんな種類の料理を小皿にきれいに並べてあるんを「おばんざいです。」ていうたりもせえへんな。

実は逆輸入やった!「おばんざい」ていうことば。

京都の人が全然使わん「おばんざい」ていうことば、いったい誰が最初にいいはじめんたやろ?て調べてみたら、昭和36年に料理研究家・随筆家の大村しげさんていう人が、朝日新聞に「おばんざい」ていうタイトルで連載を開始したことがきっかけやったらしい。

そんで、大村しげさん自身はこのことばを江戸時代の終わり、1849年に大阪で書かれた料理本「年中番菜録」から拾ってきたていう話らしいわ。
中身は、大根なんかの食材を使こた日常の煮物や汁物の作り方を紹介した本や。

ここでちょっと気いつけたいのが「番菜」ていう漢字やね。
それと、この本が書かれたんが京都やのうて大阪やったていうこと。

大阪は、江戸時代「天下の台所」て呼ばれたわな?
商いが盛んで、大店がぎょうさんあった。
当然、大店には奉公人がようけいる。

奉公人の3度3度の食費はバカにならん。
せやから、店の主人は、何とかして食費を始末せなあかんていうことで、奉公人の毎日の献立を厳し~い定めとったんや。

例えば、「年中平生、朝・夕茶漬け、昼一汁一菜」てな風に。
―――つまり、これは「年がら年中、朝と晩はお茶漬けとお漬物、昼だけ汁物とおかずが1品つく」ていう意味。
せやけど、たぶん奉公人の栄養に気い配ったんやと思うけど、毎月10日、20日、月末には焼き魚がついたりした。

ほんで、16日には汁物にさいの目に切った豆腐の実がついたりもした。

こんな風に、毎月決まった日に決まったものを食べるていう習慣を定めてる店が多かったんやね。

何がいいたいかていうと、毎月順番に回ってくるおかずやから「番菜」。
―――そこから「おばんざい」て名前を付けてる大店も、大阪にはあったんやろな。

歴史的な由来はともかく、京都の庶民のおかずを勝手に「おばんざい」て銘打たはった人は、さっきもいうた通り大村しげさんていう人らしい。

この大村さんが、京都の人が普段食べてるもんを「おばんざい」「おばんざい」てテレビや新聞で紹介するもんやから、よそさんは何とのう「京都では日常の食べ物を『おばんざい』というんか。」と思い込んでしもたんやね。

そう思てへんのは京都の人間だけや。

昔、大阪で呼ばれることがあった「番菜」ていうことばが、ここ30年余りのうちにマスコミを通じてよその土地で広まって、現在はよそさんを通じて京都の土地に逆輸入されてる・・・・。

―――まぁ、そんなところやろか。
―――ちょっと迷惑やけど。

ほんもんの「おかず」て、京都ではどんなもんをいうのん?

最初に紹介したタレントが、先斗町の「おばんざい」専門店の料理を見て歓声を上げてたんを見て、京都人のコラム子も別な意味でたまげたわ。

何でかいうたら、その「おばんざい」とやらの数々が大体こんな感じやったから。

「おばんざい」専門店の「おばんざい」

一目でわかると思うけど、バカに品数がようけあるやろ?

始末の精神とか、手間をかけへんとか、はたまた日常の家庭料理とか謳うていながら、実は全然そうやあらしまへん。

昨今の京都観光ブームを受けてのことやろうと思うけど、市内のあっちにもこっちにも「おばんざい」専門店なるもんが店開きしてるみたいやなぁ。

せやけど、京都の人間はまず、こんな店へは足を運ばんと思うえ。

何でかいうたら、こんなん京都のおかずと違うもん。

そのわけは

① 品数が多すぎる。あれも、これも並べすぎ。こんなもん、どこが質素倹約や?

② 賀茂なすは例え旬でも高級食材やわ。なかなか庶民の口には入らしません。

ニシンナス

③ 江戸時代や明治時代は「時知らず」て呼ばれて、年中値段が変わらへんし経済的やていう理由で、庶民のおかずによう使われた湯葉とか麩とか干物とかいう乾物も、このご時世ではうっかり手が出えへんようになってきた。―――湯葉も麩も目玉が飛び出るくらい高いやん。

「時知らず」(乾物)

昔も今も変わらんと「しぶちん」な京都の人間が好んで食べるおかずていうたら・・・・・

そやねぇ、切干大根とお揚げとか、ひじきの煮物とか、旬の小松菜とお揚げの煮物とか。
あと、旬の大根とお揚げの煮物にかぶの煮物。

せいぜいでそれくらいやろか。

小松菜とお揚げの煮物

あっ、いうまでもないことやけど、作るんは1回につき1品どすえ。

蛇足になるかもしれまへんけど、ある時コラム子が「ほうれん草の白和え」を作ってたら、それを見た知り合いがえらいびっくりしてました。

曰く、「ようそんな手の込んだもんつくるなぁ。中に入れる具の品数は多いし、お金も手間もかかるやん。うっとこはそんなおかず、作ったためしないわ。」

むすび

繰り返しいうけど、昨今、なにかともてはやされる「おばんざい」は、京都の人間の目から見ると絶対「おかず」やあらしません。

せやけど、それでのうても物価高に喘ぐ毎日の暮らしで、必ずついて回る「食べること」をできるだけ賢う、無駄のないよう工夫してるんは、庶民やったら別に京都人やのうても、みんな一緒と違いますやろか。

つまるところ、「おばんざい」= 京都の食べもん と取り立てて騒ぐことでもないんやないかと思うんですわ。

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