第3楽章 青い風の光―後編―
投稿日:2023年12月07日投稿者:じゅうべい(Jubei)
カテゴリー:第11遊行 阿弥陀念仏の光―穏やかな温もり 明かりが灯される― , 平安仏教聖伝―阿弥陀聖(ひじり)空也編―
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後編:青い風の光
東市は今やあらゆる階層の上下の区別を超えて、
実に多くの皆の衆の活動のおかげで成り立っているのだ」
と、空也上人は「空」と「東市」と書かれた地面の上部に「市司」、右側に「市人(売る者)」、下部に「買う者」、左側に「作る者」「運ぶ者」と書いてゆき、それらの文字を円で囲い、さらにそれらを線でつなげてゆく。
「なるほど・・・・それで?」
「とすると、俺も菩薩ってことかい?」
「そうだ、柴樹(しばき)どの。そなたも都の貴族に仕える従者であろう。ならばそなたの働きが、貴族の方々のいのちと生活を支えていることになると、私は思う。そなたはそなたの立ち位置で、そなたの持ち場で懸命に生きてゆけばよい。区別も差別もすべてを捨てて、ただひたすらに、誰かのために尽くしてゆくのだ」
と、空也上人は木の枝で地面に「阿弥陀仏様」と書き、その文字を丸で囲む。
「差別も区別も智慧も愚痴も、すべてを捨てて、菩薩としてただひたすらに、誰かのために尽くすこと。誰かのために行動してゆくこと。阿弥陀仏様はそう私たちに教えて下さっているのだよ。阿弥陀仏様のお姿が見えないのも・・・・」
空也上人は、今度は地面に書かれた「空」の文字を指す。
「この空の教えを常に私たちに示しているためなのだ」
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「見えないけれど、〈教え〉となってそこにいる・・・・」
ずっと空也上人の話を聞いていた俺は、そうつぶやいていた。
「そういうことかい、空也上人?」
「そう、その通り」
空也上人が左手で俺の方を指し示した。
「阿弥陀仏様は、〈空〉の教えとなって、今ここにずっといらっしゃる。ずっと私たちを見守っていてくださっているのだ」
すると空也上人様は、心静かにその念仏を称え始めた。右手に持っている撞木で、首から下げている金鼓を打ちながら。阿弥陀仏様にすべて身を委ねて生きる、阿弥陀浄土の念仏を。
「南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏」。
コーーーーン、コーーーン。
「阿弥陀仏様は今この時も、〈空〉の教えでわれらを導き、この世で生きる意味や価値を、与えて下さっておられる。そのような弥陀の教えを心から信じて、徹底的に、すべてを捨てて、その身を委ねて生きてゆく。だから私は口に念仏を称え続けるのだ。そしてその時、南無阿弥陀仏の念仏となり阿弥陀仏様はそのお姿を現して下さる」
「南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏」。
コーーーーン、コーーーン。
「すべてのものは、もともとは固定的実体を持たないものである。しかしすべての皆の衆のおかげですべてのものは成り立っている。この東市の賑わいがそうであるように」
「南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏」。
コーーーーン、コーーーン。
「生きる価値のない人間など、誰一人としていないのだ。みな平等に、この世の救済に相励(あいはげ)む、大切な菩薩なのだから」
「南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏」。
コーーーーン、コーーーン。
「念仏を称え差別も区別も智慧も愚痴も、すべてを捨てて、ただひたすらに、誰かのために尽くすのだ。誰かのために行動してゆくのだ。それぞれの立ち位置で、それぞれの場所で」
「南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏」。
コーーーーン、コーーーン。
「一度でも、南無阿弥陀仏と称えれば、われらは地獄に堕ちることもなく、皆平等に極楽浄土に生まれ変わることができる」
「南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏」。
コーーーーン、コーーーン。
空也上人の念仏の声に合わせ、一人が念仏を称え始めた。すると、一人、また一人と念仏を称え始める。
そして・・・・・・。
「南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏」。
気がつくと、周りで「南無阿弥陀仏」の大合唱が響いていた。今、この場にいる誰もが、念仏を共に称えている。今この瞬間、誰もが阿弥陀仏に身を委ねて生きていた。阿弥陀念仏の光に身を委ねて生きていた。そしてその光は、青い風に乗ってどこまでもゆき、この市全体を、いや、もしかしたら全世間をも包み込んでいるのかもしれない。念仏の光に包まれていた俺は、確かにそう感じていた。
第11遊行(完)
この記事を書いた人
じゅうべい(Jubei)
みなさんこんにちは。今日も元気がとまらない地球人、じゅうべいです。好きなことは遊ぶこと(漫画に映画、音楽(Jロック等)にカフェ巡り)です。
よろしくお願いします。