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「わあ~!すごいね、おとっさま(〈お父さん〉の訛り)。平安王朝の装束をまとった人たちの行列がどこまでも続いてるよ」
今日、5月15日は京都三大祭りの一つ、葵祭(あおいまつり)が行われる日だ。私は今、わが子とともに京都御所より出発する平安行列を見物していた。
天皇の使者である勅使が下鴨、上賀茂の両神社に参向する道中の「路頭の儀」。
平安貴族の装束を身にまとった人々の行列は、まさに葵祭のハイライトなのだ!
「ねえねえおとっさま。そもそも葵祭ってなあに。
なんで京都でこのお祭りが行われるようになったの?」
葵祭はね、賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭で、もともとは約1500年前に行われた、加茂の神をお祭りして五穀豊穣を祈る祭事だったんだよ。
時は欽明天皇(在539~571)の時代。加茂の大神の祟りで大飢餓疫病が蔓延し、風雨が続いて五穀も実らないという大変なことが起こったことがあったんだ。
「そうなんだ。もともとは加茂の大神様をおまつりするための行事だったんだね」
そうだよ。そんなわけでもともとは「賀茂祭(かもまつり)」と呼ばれていたんだけれども、それが葵祭と呼ばれるようになったのは江戸時代になってからのことなんだ。
「なんで葵祭って呼ばれるようになったの?」
実は加茂祭はさまざまな理由で祭祀の経費が増大したために,文亀2(1502)年以降約200年もの間、途絶えていたんだ。それが江戸時代になって再興されて、その時から内裏宸殿の御簾や牛車などに二葉葵(ふたばあおい)を飾るようになった。だから葵祭と呼ばれるようになったと言われているんだ。
「なんで二葉葵を飾るようになったの?」
祭で用いられる二葉葵。これは「葵桂(〝あおいかつら〟または〝きっけい〟)」といって、桂の小枝に、下鴨神社と上賀茂神社の神紋である二葉葵の葉を絡ませたものなのさ。そして葵は徳川将軍家の家紋でもあって、将軍家もこの祭を重要視したために、祭の前に葵縵(あおいかずら)を将軍に献上することもあったんだ。そして、この頃から、葵祭と呼ばれ始めたんだよ。
「そうなんだ!葵祭の名前は、
神社の神紋と徳川将軍家の家紋からきているんだね」
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「あ、見て見ておとっさま、あそこに綺麗な女の人がいるよ」
わが子の視線の先には、五衣裳唐衣(いつつぎぬものからぎぬ)をまとい、腰輿(およよ)という輿に乗って登場する美しい女の人がいる。
ああ、あの人は斎王代(さいおうだい)って呼ばれている人だね。葵祭のヒロインだよ。
「斎王代ってだ~れ?」
斎王代は、斎王の代理をつとめる人のことさ。斎王は上・下両社に奉仕した未婚の内親王(ないしんのう・天皇の娘)のことだよ。弘仁元(810)年の薬子の変の際、嵯峨天皇が賀茂神に戦勝祈願したことから設置されたもので、内親王と呼ばれる王家の未婚女性(天皇の娘)が「斎王」として祭に奉仕していたんだ。ちなみに、〈斎〉は心身を清めて飲食などの行為をつつしんで神をまつることを意味するんだよ。
だけど、鎌倉時代になって斎王は途絶えてしまったんだな。でも昭和31(1956)年になって、葵祭を盛り上げようと「路頭の儀」に斎王代・女人列が復活したんだ。そして京都在住の未婚女性から選ばれることから、斎王の代理、つまり斎王代と呼ばれるようになったんだよ。
行列はこの後、下鴨・上賀茂両社に到着して、そこで「社頭の儀」が行われるんだ。
「へえ~、葵祭っていろいろな長く深い歴史があるんだね。すごいや。
また来年も来ようね、おとっさま」
葵祭
- 開催日:毎年5月15日。10:30に京都御所(最寄駅は地下鉄丸太町駅)を出発し、11:40に下鴨神社・到着、15:30に上賀茂神社に到着します。
- 雨天順延あり(詳しくはURLをご覧ください)
- 葵祭情報URL:https://ja.kyoto.travel/event/major/aoi/
- 斎王代の写真と二葉葵の紋はウィキペディアより転載
この記事を書いた人
じゅうべい(Jubei)
みなさんこんにちは。今日も元気がとまらない地球人、じゅうべいです。好きなことは遊ぶこと(漫画に映画、音楽(Jロック等)にカフェ巡り)です。
よろしくお願いします。