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ふむ、今日は天気がいいからであろうか。
たくさんの人たちが、たくさんの子どもたちが境内を散歩しているではないか。
しかし、騒がしき空気が一つたりとも感じられないから不思議よのう。
静かなる賑やかさ、とでもいうような雰囲気がそこにはある。
神泉苑
皆の者、今からわれの申すことをよく聞くがよいぞ。ここは延暦13年(794)かの桓武天皇が平安京を造営する際、宮中の付属庭園として造られた苑池で、ある。「神泉苑」と名づけられたのは、常に清水が湧き出す故のことだ。
境域は南北四町(四八〇メートル)東西二町(二四〇メートル)にも及び、苑内には大池と中嶋のほか、乾臨閣や釣殿、滝殿も設けられた。
神泉苑にはかつて歴代の天皇が行幸され、宴遊、相撲、賦詩などの行事を行い、弘仁3年(812)嵯峨天皇は日ノ本で初めての桜の花見の詩宴を催したのだとか。
そんな神泉苑には、有名な話がいくつも残っておるのだぞ。
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例えば、かの有名な弘法大師空海どのにまつわる話を致そう。
空海どのはかつて天長元年(824)、日本中が旱魃に見舞われた際、淳和天皇の勅命により祈雨の法を修したことがあったのじゃ。空海どのは北印度の無熱池の善女龍王を勧請(呼び寄せられ)し、熱祷を捧げられた。その結果、どうなったと思う?なんとびっくり日本国中に雨が降り、人民は大いに喜んだそうな。 これ以降神泉苑の池には善女龍王がお住みになるといわれておるのだ。
神泉苑の大池
弘法大師空海勧請 請善女龍王社
そしてこれ以後、神泉苑は名僧が競って請雨法を行う霊場となったので、ある。
そしてもう一つ、貞観5年(863)には神泉苑で初めて御霊会(ごりょうえ)なる儀礼が執行されたのも有名な話だ。平安時代の当時は、都で発生する様々な疫病の原因が、政治闘争で無念の死を遂げた怨霊のせいだとされた。
そこでその霊をなだめて災厄を鎮めようとこの儀礼が催されたのだ。
・・・・なるほど、それは後の祇園祭の発祥ともなっているので、あるか。
いかがかな。神泉苑にはこのように、有名な逸話がけっこう残されているのだ。ただそこにあるきれいなお池、というわけでは決してない。ここにもまた、日本人の文化精神が確かに投影されておるのだぞ。
神泉苑
- 住所
京都市中京区御池通神泉苑町東入る門前町167 - URL: http://www.shinsenen.org/
- 境内参拝時間:7:00~20:00
寺務所(授与所・御朱印):9:00~17:00
御朱印受付は9:00~16:30となります。 - 交通手段
・阪急四条大宮駅より徒歩10分
・JR二条駅より徒歩10分
・JR京都駅→地下鉄→地下鉄東西線「二条城前駅」下車徒歩2分
・市バス15 「神泉苑前」 からすぐ
・市バス9、50 「堀川御池」 から徒歩5分 - ※境内に駐車場はありません。
この記事を書いた人
じゅうべい(Jubei)
みなさんこんにちは。今日も元気がとまらない地球人、じゅうべいです。好きなことは遊ぶこと(漫画に映画、音楽(Jロック等)にカフェ巡り)です。
よろしくお願いします。