前編:智慧と慈悲の共生社会

智慧と慈悲の共生社会、

それは様々な仏陀の教えを分かち合い、智慧と慈悲によって共に生き合い支え合う社会のあり方をいう。人々が様々な仏陀の教えを共通の基盤としてつながり合い、手を取り合って共にこの今を生きてゆく。そんな社会のあり方である。

そのつながりは、穏やかで、温かみがあり、緩やかであるが、決して切れることがない揺るがぬ強さを持っているのだ。

あれからどれほどの月日が流れただろう。かつてこの私、西光坊浄海はあの日、この眼で確かに地上に出現せし極楽浄土の世界を見たのだった。数多くの仏陀や菩薩たちに護られてその教えを分かち合い、智慧と慈悲によって共に生き合い支え合う極楽の国。その国はこう呼ばれていた。

地上極楽の国パドマと。

地上極楽に花開く大蓮華

そこに生きる人々は、それぞれの聖域で様々な仏陀の教えを分かち合い、智慧と慈悲によって共に生き合い支え合いながら確かな今を刻んでいた。煩悩と菩提(安楽のさとり)、光と闇が交差する世界であるが故に多少争うこともあったようだが、そこでも仏教が緩衝材の役割を担っていたおかげで、大きな争いにならずに済んだことを今でもよく覚えている。

そんな智慧と慈悲の共生社会を成り立たせているのは、三道分立の精神だ。
それは次の三道のことである。

1.政治の道(智慧と慈悲の共生政治)
2.経済の道(智慧と慈悲の共生経済)
3.仏法の道(大如来蔵浄土の聖伝)

この三道こそが、仏教による「融和」と「共生」の平和を実現するためにパドマで最も大切にされている道に他ならない。

1.政治の道(智慧と慈悲の共生政治)
智慧と慈悲の共生政治 仏陀の教えを分かち合い、智慧と慈悲によって共に支え合い生かし合う。具体的には、自分の持ち場で、誰かのために自分のできることをしてゆく事をいう。私たち一人一人が菩薩(この世の救済に励む者)として善い行いを積み重ねてゆき、様々な問題を解決するための実践的な智慧を獲得してゆく。その智慧でもってまず自らを安楽にし、そして他者を含めすべてのいのちをも安楽にしてゆくのだ。仏陀の教え(大如来蔵聖伝)を基盤として 一人一人が菩薩(大人)として責任を持ち、世界を支えてゆくのである。

2.経済の道(智慧と慈悲の共生経済)
智慧と慈悲の共生経済 小欲知足の生活 モノではなく、智慧による幸福を 少欲知足の経済 僅かなもので十分足りているということを知り、満足すること。最小限の消費で、最大限の幸福を得ることをいう。 それは物質的・量的な満足から、仏教の智慧と慈悲を支えにした精神的・質的な満足への転換を意味する。 私たち一人一人が智慧による幸福を求め、少知足の経済活動をしてゆく。そしてわれら共有の財産である地球環境をも保全してゆくのである。

そして三道の中で最も重視されているのが、仏法の道である

仏法の道は〈大如来蔵浄土の聖伝〉をすべての拠り所とする。この聖伝こそが、政治の道と経済の道の基盤となり、パドマに生きるあらゆるものたちの精神的な基盤となっているのである。

「後編:仏法の道―大如来蔵浄土の聖伝―」へとつづく。

コメント(1)

コメント一覧

  • K・スィーガー より:

    縁なき衆生の自分にとっては、どこにもない国のように思えましたが、ふと、ソクラテスがグラウコンに反論した話しを思い出しました。ソクラテスが理想を語っている時、地上のどこにも”神の都市”があるとは信じないとグラウコンは言ったそうです。ソクラテスは次のように答えたそうです。「そんな都市が天上にあろうと地上にあろうと、賢者はその都市の慣行に従って生き、ほかの慣行には何の関係もない。賢者はその慣行を調べた上で自分自身の家を整えてゆくであろう」と。全ては我々の生き方にかかっているのでしょう。

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