前編:智慧と慈悲の共生社会
智慧と慈悲の共生社会、
そのつながりは、穏やかで、温かみがあり、緩やかであるが、決して切れることがない揺るがぬ強さを持っているのだ。
あれからどれほどの月日が流れただろう。かつてこの私、西光坊浄海はあの日、この眼で確かに地上に出現せし極楽浄土の世界を見たのだった。数多くの仏陀や菩薩たちに護られてその教えを分かち合い、智慧と慈悲によって共に生き合い支え合う極楽の国。その国はこう呼ばれていた。
地上極楽の国パドマと。
そんな智慧と慈悲の共生社会を成り立たせているのは、三道分立の精神だ。
それは次の三道のことである。
2.経済の道(智慧と慈悲の共生経済)
3.仏法の道(大如来蔵浄土の聖伝)
この三道こそが、仏教による「融和」と「共生」の平和を実現するためにパドマで最も大切にされている道に他ならない。
1.政治の道(智慧と慈悲の共生政治)
2.経済の道(智慧と慈悲の共生経済)
そして三道の中で最も重視されているのが、仏法の道である
「後編:仏法の道―大如来蔵浄土の聖伝―」へとつづく。
この記事を書いた人

ばかものランボー
見ろ!鳥だ!飛行機だ!いや、ばかものランボーだ!!
テッテテ~ッテテテレテ~~♪♪
皆さん、見えるでしょうか!ばかものランボーが、またバカをやっています!
彼の本職は、京都市の合同会社シシンという会社でパソコンのデータ入力をしているとか。
趣味はカラオケに映画鑑賞だとか。あ、彼が来ました!
「あっあ~、皆さん、私がばかものランボーだ」
コメント一覧
縁なき衆生の自分にとっては、どこにもない国のように思えましたが、ふと、ソクラテスがグラウコンに反論した話しを思い出しました。ソクラテスが理想を語っている時、地上のどこにも”神の都市”があるとは信じないとグラウコンは言ったそうです。ソクラテスは次のように答えたそうです。「そんな都市が天上にあろうと地上にあろうと、賢者はその都市の慣行に従って生き、ほかの慣行には何の関係もない。賢者はその慣行を調べた上で自分自身の家を整えてゆくであろう」と。全ては我々の生き方にかかっているのでしょう。