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う~~わ~~~~、う~~~わ~~~~・・・・。
怨み晴らさでおくべきか。怨み晴らさでおくべきか~~~。
見ろ、この世に生きる愚民ども。これが今のわしらの姿じゃ。故なき罪を着せられてこの世から抹殺され、積もり積もった怨みによって霊となったこの姿をみるがいい。こうなったのもぜ~んぶあいつらのせいじゃ。汚い欲にまみれ己のことしか考えず、わしらを罠にはめてこの世から抹殺したあいつらのせいじゃ。許すまじ、絶対に許すまじ!
おおああぁ・・・・・怒りが、憤怒が頂点に達している。この世の怨みゲージがMAXにたまっている!
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トゥルルルル~~~~~~~↺↺、ド~~~~~ン!!
怨・念・爆・発!!受けてみよ、わしらの怨みを!!
その時、現実世界の京の都はあっという間に疫病の嵐にみまわれたのである!
一撃必殺!赤痢咳逆、疫病の舞!さあ愚か者どもよ、存分にもがき苦しむがいいぃぁぁ!!
ゲ~~~ッホ!ゴホゲホ!!・・・・ゲ~~~ッホェァァァ!!
んぬおおお!!は・・・腹が!!あおおおぇ!!へげぇ!!
それはそれは、まことに恐ろしきありさまであった。さあ、これに震えあがったのは貴族たちである!
ああ、あああ!!た~~いへんじゃぁぁ~~~~!!京の都中に疫病が蔓延しておるぞ。これはまさしく、怨霊の祟りに違いない。祟りじゃ祟りじゃ怨霊じゃ~~~~~!!
た~~~た~~~り~~~じゃ~~~~~!た~~~た~~~り~~~じゃ~~~~~!!
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うんぬおおお!!っくっせ~~~~!!
おい見てみろ、平安京の道という道に病気で死んだ奴の死体がゴロゴロしてやがる。きったねー死体だぜ。おい、誰か片付けておけよ、このボロクズを。しかしだな、これはまずい、ひじょ~~~にまずい状況だ。早く怨霊を鎮めなければ、ますますまずいことになる。
よ~~し、こんな時は、これだ!!
かくして行われたのが、御霊会(ごりょうえ)である。それは貞観5年(863年)、京の都の神泉苑にて怨霊を御霊として祀る儀式として行われた。こうすることで怨霊は御霊となり、祀る者に加護を与えてくれる(災いをのぞく)と考えられるようになったのだ。祀られたのは、崇徳道天皇(早良親王)・伊豫親王、藤原吉子(伊豫親王の母)、橘逸勢、文屋宮田麻呂、藤原仲成の6人の人物。いずれも、謀反の疑いや暗殺の首謀者の嫌疑をかけられ、非業の死を遂げた者たちであった。これら「御霊」のために6つの霊座を設けたうえで、その前で僧侶に『金光明経』や『般若心経』を読誦させ、あわせて、良家の子弟を選んで歌舞を披露させたのである。
よ~~しよしよしよし!そうじゃそうじゃ、よくわしらを祀ってくれた。これからはよき御霊としてお前たちに加護を与えよう。
かくして、かつて怨霊として京の都中に災害をもたらしていたものたちは、神として人々に信仰され、加護を加えてくれる存在になったそうな。以後、御霊会は京都住民の信仰として発達し、10世紀に入ると新たに菅原道真公が加わり、京の各所には多くの御霊堂や祭堂も設けられるようになりました、とさ。
参考文献
山北 篤 『図解 日本神話』P182~183「御霊」(新紀元社、2011年)。
この記事を書いた人
じゅうべい(Jubei)
みなさんこんにちは。今日も元気がとまらない地球人、じゅうべいです。好きなことは遊ぶこと(漫画に映画、音楽(Jロック等)にカフェ巡り)です。
よろしくお願いします。