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後編:だからこそ生きてゆく、こんな時代の真ん中で。

荒れはてた京の都に祀られし、生々しく向かい合う、
男根と女陰が刻まれた男の女の神像。

人々は今、これを岐神(ふなどのかみ)、あるいは御霊(ごりょう)として東西の京の四つ辻に祀ることで邪悪な霊の侵入を除こうとしているだろうか。しかも男女の性行為の精気という、きわめて生々しい力によって・・・・・・。

人は、都は病んでいる。荒れた時代の真ん中で、苦しみ呻き、闇夜の中で泣いている。多くの人が今もなお、都で明日なき迷子たちとなって、路頭に迷い苦しんでいる。

それなのに・・・・・。

「それなのに、政(まつりごと)を行う貴族や帝(みかど=天皇)は何をしているのですか。こういう時に、何か手を打つのが国を治めるものたちのすべきことではないのですか」
俺はその時、善友の蓮性様と共に行動していた空也様にその疑問をぶつけると、空也様は苦々しい表情をしてこう言われた。
「いや、貴族や帝もこの事態に何もしてないわけではない」
「と言いますと?」
「貴族や帝も一応、賑給(しんごう)という救済活動をしばしば行っているのだよ」
「しんごう?」
「そう、賑給だ。賑(すく)い給うと書いて、賑給。それは国庫や自家の蓄えから米や塩、布や綿などを貧民や孤児、病者などに施し与えることをいうのだが・・・・・」と、空也様は考え込む。

天皇のイメージ。

「しかしそれはもともと、国を治める帝が自らの徳を示すために行うことなのだ」
「徳を示す、とは?」
「つまりは、国を治める者として恵みとさいわいをもたらす立派な行いを、人々に対し示すのだよ」
「立派な行い?」
「そう。貧しいゆえに苦の世俗にうめく民に、慈しみのある統治者として食糧などを施す。賑給を行うことは、政を行う貴族や帝が貧しい民を憂えて心から手を差し伸べる行為、といってよいのかもしれぬな。まるで父母が苦しむ子を見て心から慈しみの手を差し伸べるように。そして貴族や帝の慈しみや恵みに触れた人々は君主である帝に靡いてゆく、ということになろうか」

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「それでは・・・・・しかし」
「しかし?」
「いや、今の時代そのような徳を示されると言っても、もはやそれだけでは不十分なのでは・・・・?」
「・・・・・そうだな、残念だがそなたの言う通りかもしれぬ。のう、蓮性?」
ふと空也様に問われた善友の僧、蓮性様が答える。
「そうですな。今の都では貴族・庶民を問わず多様な人々が階層をこえて様々な活動を活発に展開しておりますが、その一方で日を追うごとに貧困者は増大し、火災や水害が相次ぎ、疫病などをもたらす恐るべき怨霊も跋扈している」

怨霊のイラスト

絶えることなき不安と恐れ、それと隣り合わせの状況の中で、
人々はいま、それらの不安からの解放を切に願っている。

「このような状況では、貴族や帝が徳を示されるといっても限界がありましょう。米や塩などを貧民・病者などに施し与えるといっても、それだけでは不十分なのも事実」

・・・・・だからこそ・・・・・・。

と、空也様は一呼吸おいてこう言われた。

だからこそ下層社会に身を置くわれらが、
痛みや苦しみによって断絶された人々をもう一度つないでいくのだよ。

黄金の阿弥陀仏。

阿弥陀念仏の教えを黄金の縄として。

「辰巳」
と、今度は蓮性様が、俺に静かに語りかけるようにこう言われた。

そなたがそうであるように、われらには、われらの立場で為すべきこと、われらの立場できることが必ずある。
それをただひたすらしてゆくのだ。こんな時代に生きているからこそ。

〈第2楽章 完〉

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