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前編:怨霊跋扈と岐神(ふなどのかみ)

「いつもすまんのう、若いの」
俺、辰巳はその日も、西鴻臚館(にしこうろかん)で共に時を刻んでいる貧者や病者たちのお世話をしていた。
空也様が東市で乞食行をして得てきた食べ物や薬をこの者たちに与え、回復するまで面倒を見るのである。善友であるお邑やレン、空也様や僧の蓮性様の日々の導きのおかげもあって、俺はようやく物を盗むこと以外で人と関わる術を見つけることができつつあった。

都の南の玄関口たる羅城門の少し北、都の中央を貫く朱雀大路に建てられている西鴻臚館。

そこはもともと海の向こうから来る「渤海」という国の使いをもてなすために、貴族が建てた公的な施設だ。しかし渤海が滅び交流がなくなった現在(天慶元年〈九三八〉)では使われることもなくなり、今この場所は都に投げ出された病者や貧者の生活の拠り所として機能している。

ここに住む人々、運ばれてくる人々は皆、理不尽な理由で社会を追放され、
居場所を失くした者たちばかりだ。

・病に罹っただけで周りから「死の穢れ」を恐れられ、それまでいた共同体から追放されて路辺に投げ出された人。
・仕えていた主人が没落したことで暇を出されて居場所を失い、乞食をしてその日暮らしをしていた人。
・そして、度重なる地震と火災で住まいを奪われた人など。

そうそう、ついこの前発生した大雨による鴨川の大洪水でも、多くの人が家を押し流され、都をも冠水させて多大な被害を出した。さらにその後しばらくして疫病も猛威を振るい、都の人々は疫病をもたらす怨霊たちによって混乱と絶望の淵に叩き落されたのだ。

怨霊といえばこの前、奇妙なものを目にしたことを思い出す。

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病者や貧者を助けるため、都の四つ辻を通りかかった時のことだ。そこに木を刻んだ男女の神像が向かい合って安置されていた。男の像は頭に冠をのせて赤く塗られ、相対して女の像が立っていた。それぞれのヘソの下には男根と女陰が刻まれている。児童らはふざけて丁寧に礼拝し、幣帛を捧げたり香花を供えたりしていた。
男女の神像はそこだけではなく、東西両京の四つ辻に立っているのだという。人々はこれを岐神(ふなどのかみ)とか、御霊(ごりょう)とか称しているが、何のしるしかは分からない。通りすがる人々もかなり怪しんでいた。

おそらくこれは、邪悪な霊の侵入を防ぐミチ(道)の神の一種であろう。

そう教えてくれたのは、そのとき俺と空也様と共に行動していた善友の僧、蓮性様だった。
「〈岐〉は〈分かれ道〉を指す言葉であるからな。この神像はミチの神として、外から悪しき霊が入り込むのを防ぐ役割を果たさんとしているのだろう。しかし・・・・・」
と、蓮性様は考え込むようにして、まじまじとその神像を見つめる。

「御霊と呼ばれるからには、疫病などの災いをもたらす御霊をこのような姿ととらえておるのか。はたまた人間の性行為の精気によって、災いをもたらす怨霊に対抗しようとしておるのか。いずれにせよ、何とも無気味なものよ」

御霊。

それは政(まつりごと)における様々な闘争の渦中で非業(自らの行いの報いではないこと)の死を遂げた人物たちの怨霊であり、こうした怨霊が疫病などの災害を多発させ、多くの人々を死に至らせている。

怨霊のイラスト

これらの霊をなだめるために、その昔(貞観五年〈八六三〉)、京の都の神泉苑である行事が催されたのだという。御霊会(ごりょうえ)と呼ばれたそれは、死して災いをもたらす霊を仏教などの力でなだめて安穏を祈願した儀礼だったのだとか。

「御霊信仰の盛行は、会に集う人々に死霊追善の要を説く密教験者(みっきょうげんざ=福を招き災いをはらう加持祈禱にすぐれた力を持つ僧)の説法とあいまって、都の人々の霊魂観念を発達させたのだ」蓮性様はそう語ってくれた。

―なに人も死し怨を含めば、
その霊は人神的な御霊には及ばずともさまざまな祟りをもたらす、と―

そして今ここに、なんとも不気味な御霊が出現している。
男根と女陰が刻まれた男女の神像、という形となって。

人々はこの男女の神像を岐神あるいは御霊として東西の京の四つ辻に祀ることで、災いをもたらす悪しき霊の侵入を除こうとしているのだろうか。しかも男女の性行為の精気という、きわめて生々しい力によって・・・・・・。

〈後編につづく〉

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