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ここ最近、詰めかける外国人観光客で街中がごった返している京都。
1200年の歴史を誇る古都として、昔も今も旅人の心を魅了してやみません。
そんな京都の街は、これまで数々のヒットソングの舞台となってきたことでも知られています。

例えばこの曲。

女ひとり  デュークエイセス (1969年)

大原三千院

京都 大原三千院
恋に破れた女がひとり
結城に塩瀬の
素描の帯が
池の水面にゆれていた
京都 大原 三千院

京都 栂尾 高山寺
恋に破れた女がひとり
大島つむぎにつづれの帯が
影を落とした石だたみ
京都 栂尾 高山寺
恋に破れた女がひとり

京都 嵐山 大覚寺
恋に破れた女がひとり
塩沢がすりに名古屋帯
耳をすませば滝の音
京都 嵐山 大覚寺
恋に破れた女がひとり

また、こんな曲も。

京都慕情  渚ゆう子 (1971年)

高瀬川

あの人の姿懐かしい
黄昏の河原町
恋は恋は弱い女を
どうして泣かせるの
苦しめないでああ責めないで
別れのつらさ知りながら
あの人の言葉思い出す夕焼けの高瀬川

遠い日の愛の残り火が
燃えてる嵐山
すべてすべてあなたのことが
どうして消せないの
苦しめないでああ責めないで
別れのつらさ知りながら
遠い日は二度と帰らない
夕やみの東山

苦しめないでああ責めないで
別れのつらさ知りながら
遠い日は二度と帰らない
夕やみの桂川

この他にも有名なヒット曲のタイトルを上げればざっと以下の通りです。

京都の恋 渚ゆう子 (1970年)
なのにあなたは京都へ行くの チェリッシュ (1971年)
京のにわか雨 小柳ルミ子 (1972年)
加茂のながれに かぐや姫 (1973年)
古都 風 (1976年)
雨の嵐山  長渕剛 (1977年)

先に紹介した「女ひとり」や「京都慕情」の歌詞を見ていただくとお気づきになるでしょうが、これらの曲にはいずれも共通点があります。
それは、

女性が主役であること
旅人であること
失恋の痛みを抱えていること

の3つです。

では、どうして恋に傷ついた女の人がひとり京都に旅をするというイメージの曲は、どれもこれも大ヒットするのでしょうか?

それには意外なわけがあるのです。
 

1970年の大阪万博がもたらした旅についての意識改革

今から約60年以上前までは、ひとり旅のイメージといえば、一般的に男性に限られていました。
女の人の場合は必ず誰かと連れ立って旅をするもの、という先入観が根強かったといってよいでしょう。。

実際、長谷川町子さんの漫画「サザエさん」などでも、サザエさんは旅行をするとき、家族と一緒でない場合は決まってご近所の奥さんたちと出かけています。

その当時、ひとり旅する女の人がいたとしたら、周りからは決まって、失恋して死に場所を探して旅に出たのだろうとのいわくつき扱いをされたでしょう。

それと同時にその頃は、男性女性を問わず一般庶民にとって、旅行とは決して気軽なものではなかったともいえるでしょう。

ところがそうした状況をガラリと一変させたのが、約50年前に開催された1970年の大阪万博でした。

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大阪万博の写真

この万国博覧会に詰めかけた当時の日本人の数は、約半年間で実に6421万人だったそうです。

一か月で1000万人、一日あたりで計算するとなんと33万人。
これだけの人々が全国各地から、連日大阪の千里丘凌に集ったのです。

この万博によって、日本人の旅についての考え方は大きく変化しました。
旅とは気軽なレジャーの一つであるとの認識が、庶民の間で浸透し始めたのです。

そして、この万博に詰めかける国民の大移動を担ったのが当時の国鉄(現在のJR)でした。
まだ1970年代の日本ではマイカーは普及していませんでした。

したがって、万博のおかげで国鉄は大儲けしたというわけです。

 

ディスカバージャパンキャンペーンの影響

万博の成功で味を占めた国鉄は、当然のことながら万博閉会後も客足を落としたくありませんでした。
そこで実施したのが、大々的なディスカバージャパンというキャンペーン企画だったのです。

このキャンペーンは万博閉会後の一月後に当たる1970年10月14日に開始されました。
コンセプトは旅を通して自分を発見する、自分探しをするというもので、個人客の取り込みがその主な目的でした。
自分を発見するとのテーマからもわかるように、旅をするのは個人であるというメッセージが発信される最初のきっかけとなりました。

このキャンペーンの副題として銘打たれたのが「美しい日本と私」という、川端康成のノーベル文学賞授章式の記念講演のタイトルです。

川端康成

川端康成

美しい日本というキャッチコピーの影響で、京都を始め、倉敷や萩といった全国の小京都が観光地としてもてはやされるようになっていきます。

京都観光のポスター

京都の観光ポスター

 

ファッション誌「an.an」」「non.no」の影響

更にここで一役買ったのが、時を同じくして創刊された若い女性向けファッション誌の特集記事の企画です。
マガジンハウス発行の「an.an」は1970年3月に創刊され、続く集英社発行の「non.no」は1971年5月に創刊されて、この二つの雑誌は競うようにして、毎月毎月若い女性のひとり旅の特集ページを組んでいきます。

やがて、ファッション誌を片手に京都や倉敷などをひとり旅する若い女性の姿はあちこちで見かけられるようになり、世間から「アンノン族」と呼ばれるようになっていきます。

女の子の一人旅

さだまさしの当時の流行歌の「絵はがき坂」の中にも、そんな風俗が歌詞に歌われています。

とはいえ、一方で当時の年かさの大人たちの目からは、まだまだ女の子のひとり旅はうさんくさいものとしか映らなかったのも事実でした。

確かに女の子のひとり旅の数は増加していきはするものの、旅に出かける動機は依然として失恋による心の痛みというイメージが付きまとってしまったのです。

こうした当時の世相を最も映し出したのが、京都を舞台にして生まれたヒットソングの数々です。

京都はディスカバージャパンのキャンペーンの最大の人気スポットであり、「アンノン族」の女性たちが最も好んで訪れた土地でした。

流行歌の作詞家たちは、そんな京都を背景に
   
①   若い女性
②   ひとり旅
③   失恋
 
のイメージを重ねて作詞したわけです。

その結果生まれた曲の数々は、当時の日本人のメンタリティーにマッチして爆発的にヒットしたのでした。

以上のような理由から、京都を歌った曲には決まって若い女性、ひとり旅、失恋の痛みの歌詞が付きまとうようになったのです。

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