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皆様お疲れ様です!

今週頭に無事新しいエアコンが届き、文明の利器に改めて感謝している海野です(これで今年の夏もなんとか乗り越えられそうや・・・)。

突然ですが、“滋賀県”といえばまず何を思い浮かべますか?

おそらくほとんどの方は、真っ先に“琵琶湖”を思い浮かべたのではないでしょうか?

琵琶湖の衛星写真

“滋賀県”=“琵琶湖”という公式が成り立ってしまうぐらいのとても強い関係性です(ここ次のテストに・・・出るわけないw)。

そのことを象徴する言葉のひとつに「琵琶湖の水止めたろか!」というのがあります。

京都人や大阪人などに滋賀についてからかわれた時に、県民がよく使う脅し文句です。
海野も何度か“ギャグ”として使ったことがありますが、実際に琵琶湖の水が止められたことが実は過去にあったことをご存知でしょうか?
止められたという表現を使ったのは、止めたのが滋賀側ではなくなんと京都側だったからです!

時は1896年まで遡ります。その当時京都では、明治維新による東京遷都によって沈み切った街に活力を取り戻すために、琵琶湖の水を引くための水路(『琵琶湖疏水』)が建設されており、1896年当時はその第1水路(『琵琶湖第1疏水』)の完成から6年余りが経っている頃でした。

1890年完成当時の琵琶湖第1疏水

1890年完成当時の琵琶湖第1疏水

その年の9月、後に『琵琶湖大水害』と呼ばれる豪雨が発生し、その水路に水が押し寄せてきました。その時水害を危惧した京都市が大津にある水門を封鎖したのです。

この行為に滋賀側は激怒しました。水門の封鎖によって滋賀側の浸水量が増してしまったからです。大津町(現大津市)は京都市に対して水門を開けるよう要求しましたが、京都市側がこれを拒否。滋賀と京都の関係性に暗雲が立ち込めてしまったというなんとも悲しい出来事でした(現在は修復されている・・・はず!)。

ということで、歴史的に見れば「琵琶湖の水止めたろか!」は、“京都市民が滋賀県民に対して使った脅し文句”だったというまさかの事実!このことを知ってしまった今、これから滋賀県民は京都人に対してどのような脅し文句を使っていけばいいのでしょうか・・・やはり滋賀が京都よりも優位に立つことはできないのでしょうか・・・。

現在の琵琶湖疏水

現在の琵琶湖疏水

ただその琵琶湖疏水があったからこそ、京都に活力が戻って今日の京都があるというのも事実のような気がします。“滋賀(琵琶湖)のおかげで今の京都がある”そう思ったとしても、決して間違いではないのでは?(というか京都人の方々、どうかそのように思わせてくださいw)

なんか少し強引なまとめ方になってしまいましたが、滋賀と京都の関係性はなんだか不思議で面白いなあと改めて感じました(えっ!?このまとめ方も強引やって?w)。
 
 
最後にひとつだけ・・・なぜ海なし県民の僕が「海野」を名乗っているのか?それは滋賀県民が琵琶湖のことを“淡い海”やと思っているからです!だれが何と言おうと、琵琶湖は“淡い海”なのです!!(そして他府県民から、またからかわれるのですw)
 
 
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。それではまた次回!
 
 
参考文献:「琵琶湖の水、止めたろか!」いや、実は120年前に京都市が止めてます.京都新聞.2021-07-18,京都新聞, https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/595181 (参照 2022-06-24)

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